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必要悪?談合が復活していた!被災地復旧工事で1765億円、20社で受注割り振り

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談合決別宣言後に新たにできた談合組織

 05年末に鹿島、大成建設、清水建設、大林組のスーパーゼネコン4社は「談合決別宣言」を出した。

 和歌山県発注のトンネル工事の談合事件、防衛施設庁発注の在日米軍岩国飛行場の土木工事の官製談合事件、名古屋市発注の地下鉄工事の談合事件、大阪府枚方市発注の清掃工場建設の官製談合事件など談合事件が続発し、06年1月に談合を封じ込めるべく独禁法の罰則が強化されたためだ。

 この談合決別宣言後に事件の摘発が相次いだ。

 今回摘発された道路舗装業者の談合組織は、決別宣言直後につくられたという。それまで談合は必要悪とみなされ、おおっぴらに行われていた。国際的な競争にさらされている製造業に比べて、国内産業の建設業は厳しい競争に直面してこなかった。談合で工事を分け合い共存共栄ができたからだ。業担(業務担当)と呼ばれる談合ポストは社内の出世コースであった。決別宣言後は世間の目も厳しくなり、さすがに堂々とはやれなくなった。

 上位グループは大手3社の東北支社の部長クラスが集まる「ハトの会」と呼ばれる親睦会を開き、仙台市内の繁華街で会合を重ねていたという。ハトの会が幹事社の集まりだった。

 道路舗装最大手のNIPPOは石油首位JXホールディングスグループ、前田道路は準大手ゼネコン前田建設工業の子会社、日本道路はスーパーゼネコンの清水建設系である。

 道路舗装会社に談合組織ができていたということは、ほかの官庁工事でも談合組織が復活している可能性がある。

「談合の総元締」植良祐政の後ろ盾は田中角栄

 談合の歴史は豊臣秀吉の時代に導入された入札制度とほぼ同時に始まったとされているから、かなり古い。明治時代には、談合破りの業者の入札を暴力的に妨害する談合屋が暗躍した。

 現代の談合のルールが整備されたのは高度経済成長時代の1960年代に入ってからである。この頃は大物仕切り屋の時代だった。当時、国が行う大型公共工事は、道路、鉄道、ダムだった。

 60年代は大成建設副社長の木村平氏が談合組織を仕切った。木村氏の引退後は、鹿島副社長の前田忠次氏と飛島建設会長の植良祐政氏が引き継いだ。中央談合組織「経営懇話会」の会長を務めた植良氏には「談合の総元締」という称号がついた。

 鹿島、大成建設、清水建設といったスーパーゼネコンのバックを持たない植良氏が談合の総元締として君臨できたのは、元首相で建設族のドン・田中角栄氏と強い結びつきがあったからだ。

 85年、植良氏の最大の後ろ盾だった角栄氏が脳梗塞で倒れ、その建設利権を受け継いだのは、建設族の新しいボス、自民党副総裁の金丸信氏だった。金丸氏には角栄氏ほど政治家や建設業界を抑え込む力がなかったため中央の談合組織は弱体化し、植良氏は急激に力を失った。

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