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高井尚之が読み解く“人気商品”の舞台裏

洗えるウール開発!田舎の小さなニット会社、なぜ苦境脱し欧州有名ブランドが殺到?

文=高井尚之/経済ジャーナリスト・経営コンサルタント
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「考えてみると、日本では『いいモノをつくれば評価してくれる』という意識が先にあり、ブランドとしての工夫が足りませんでした。米国では、展示ブースも古木を使って棚から手づくりしたところ、評判となって現地メディアが取材してくれ、さらにニューヨークでの発表の機会をいただいた。売る場所や演出次第で、高付加価値の商品となったのです」

 次第に、きめ細かな糸を生み出す同社の技術が評判となり、取引先も増えた。09年1月、米国のオバマ大統領の就任式でミシェル夫人が着用したニナ・リッチのカーディガンに同社が供給した糸が使われるなど、欧州の有名ブランドの多くが取引先だ。国内の通販では、自社ブランド「M.&KYOKO」の商品を出して人気を呼ぶようになった。ブランド名は、佐藤氏の名前「正樹」と、デザイナーである妻の名前「今日子」から取った。

本社敷地内に直営店も開業

 かつては「糸へんの時代」と呼ばれ60年代まで日本の輸出を支えた国内繊維業が衰退したのは、72年に締結された「日米繊維協定」がきっかけだった。日米首脳会談の結果、日本側が米国への繊維の輸出を自主規制することを決定。当時は沖縄返還問題もあり、繊維の輸出と沖縄返還を絡めた日米交渉は「糸(繊維)と縄(沖縄)の取引」と揶揄された。

 別の業界関係者は、「繊維のなかでも編物の規制が厳しかった。それに続いて、85年の『プラザ合意』後の急激な円高ドル安も、生地や製品の輸出には大打撃だった」と明かす。この四半世紀で、さらに衰退が進んだ。佐藤氏が帰郷した92年には、アパレル業界の国内生産は4割あったが、現在はわずか0.6%で99.4%が輸入だという。

 そんな流れを変えようと奮闘するひとりが佐藤氏なのだ。モノづくりへの思いは強く、原材料の糸を求めて世界中を回り、生産者と交渉して良質な糸を調達する。

「豪州には羊から紡ぎやすい細い糸をつくることに挑む職人がいますし、南アフリカには高品質のモヘアをつくる職人がいます。効率重視の現代社会では、そうした職人が日の目を見ないので、素材の背景についても紹介しています」(同)

 その思いは、15年4月に本社工場の一角に開業したセレクトショップ「GEA(ギア)」にも反映されている。同社の商品だけでなく、地元・東北地方の作家のアート性の高い商品を置くなど、発信基地の役割も果たす。最近は国内各地からの来店客が多いという。

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