
いよいよ最終章を迎えたかに思えたタカタのエアバッグ問題だが、解決の糸口が見つからないなかで、またしてもリコール対象が増えた。
タカタが2000年以降に製造したエアバッグには、硝酸アンモニウムという火薬が使われている。交通事故が起きた際にエアバッグを瞬時に膨らませるためには火薬とインフレーター(ガス発生装置)が必須なのだが、なんらかの条件が重なると、硝酸アンモニウムが異常爆発し、あろうことかインフレーターまでも破壊してしまう。その破裂の勢いたるや生半可ではなく、インフレーターの金属片は乗員の命までも奪ってしまったのだ。
最初の死亡事故から7年。異常爆発の原因が特定できなかったことが、結果としてリコール台数をダラダラと増やすことにつながった。
その詳細を見る前に、まずはタカタのエアバッグをめぐって何が起きたのか、これまでの事実関係を整理しておきたい。
・00年5月…タカタはアメリカワシントン州のモーゼスレイクにある元米軍に収める部品メーカーを買収。エアバッグに使われるプロペラント(火薬の推進剤)の量産を開始した。
・06年…タカタはメキシコにエアバッグのアッセンブル工場を持っており、ここでモーゼスレイクから送られてきたプロペラントを金属ケースに収めてエアバッグに組み立てる作業を行っていた。実は、この工場では06年に原因不明の爆発が数回にわたり発生している。外壁は吹き飛び、約1km離れた家の窓も壊れるほどのすさまじい爆発だったという。この爆発についてはタカタからの公式説明はないが、エアバッグに使われる硝酸アンモニムが原因だったのではないかとみる向きもある。
・08年11月…本田技研工業(ホンダ)は米国市場で起きたエアバッグの異常爆発を懸念し、第1回目のリコールを実施。
・09年5月…初めての死亡事故が発生。車種はホンダの01年式アコード。死亡原因はエアバッグの異常爆発で、火薬入りインフレーターの金属片が飛散し、乗員を殺傷した。
・09年6月…死亡事故を受けてホンダはすぐに2回目のリコールを実施。
・09年12月…2件目の死亡事故発生。この頃からエアバッグによる重症死亡事故とリコールの追いかけっこが加速し、完全に負のスパイラルに陥ってしまった。
未来の製品すらリコールの対象になるおそれ
エアバッグは人の命を救うための重要な安全デバイスである。それだけにエアバッグに起因する死亡事故は、タカタだけでなく世界中の自動車メーカーや政府関係者にとって想定外の出来事であった。原因は火薬の変質との見立ては早々に出ていたが、火薬が変質した理由は物性の問題か、設計・構造の問題か、製造工程の問題か、あるいは複合要因か、詳しいことがはっきりしなかったため、アメリカでは専門チームを組み調査に乗り出した。