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いったいソニーはどうしたんだ?銀座ド真中の245億の土地を一般開放!何が狙いだ?

文=編集部
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いったいソニーはどうしたんだ?銀座ド真中の245億の土地を一般開放!何が狙いだ?の画像1ソニービル(「Wikipedia」より/Wiiii )

 銀座のソニーが大きく変わる。ソニーは東京・銀座の数寄屋橋交差点にあるソニービルを建て替えるのに伴い、銀座4丁目交差点にオープンする銀座プレイスに新たなショールームとソニーストア銀座を開設する。

 ソニービルは、2017年3月31日にテナントの飲食店など全館の営業を終了する。その後、ビルを解体して平地に整備し、訪日観光客が今まで以上に銀座に来ることが予想される18年から20年の間は銀座ソニーパークに変身する。敷地面積は707平方メートルでミニコンサートやチャリティーイベントのために開放する。ソニーは米ニューヨーク・タイムズスクウェアの階段広場の雰囲気をイメージしている。

 東京オリンピック・パラリンピックが開かれた後、20年秋以降に新しいビルの建設に着手し、22年秋には新ソニービルとして営業を再開する予定だ。そこは再びショールームとして使う。

 ソニービルに入居しているショールームやソニーストア銀座は、9月に開業する銀座4丁目のGINZA PLACE(銀座プレイス)に移転する。銀座4丁目交差点の4つの角には、和光、三越銀座店、三愛ビル、日産ギャラリーがあって、それぞれ有名な待ち合わせスポットになっている。銀座プレイスはサッポロ銀座ビルの跡地に建てられた施設で、日産自動車のショールームなどは刷新される。

日本初のショールームビル

 井深大氏と盛田昭夫氏。敗戦直後、日本橋の白木屋(現・コレド日本橋)の3階で2人が手を携えてつくった東京通信工業(現・ソニー)は、日本の戦後復興を上回るスピードで「世界のソニー」への道を駆け上がっていった。

 天才肌の井深氏が開発した製品を、国際感覚に優れた盛田氏が海外に売り込み、ソニーを世界屈指のブランドに育て上げた。テープレコーダー、トランジスタラジオに始まり、トリニトロンカラーテレビなど次々とヒット商品を産み出し、ソニー神話は燦然と輝いていた。

 盛田氏の真骨頂は情報発信力だ。トランジスタラジオを発売した2年後の1957年、数寄屋橋交差点に初の豆電球を使った「SONY」のネオン広告を華々しく掲げた。これは商品のブランド広告であり、東京通信工業がソニーに社名変更するのは翌年の58年だった。

 59年にショールームを開設し、66年にソニービルにした。日本初のショールームビルである。外壁に2300個のテレビ用ブラウン管を埋め込むなど、ソニーの情報発信基地として話題を集め、ピーク時には1日2万人が訪れた。

BusinessJournal編集部

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