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高橋篤史「経済禁忌録」

9年間タイ潜伏…あの黒幕・弁護士が突然に日本送還!自殺者や逮捕者続出の一大金融事件

文=高橋篤史/ジャーナリスト
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9年間タイ潜伏…あの黒幕・弁護士が突然に日本送還!自殺者や逮捕者続出の一大金融事件の画像1六本木ヒルズ(「Wikipedia」より/A16504601)

 相場操縦事件の発覚直前に行方をくらました元弁護士の椿康雄容疑者(62歳)が、9年ぶりにタイで身柄を拘束された。失踪当時、椿容疑者はある仕手グループに連なるキーマンと目されていた。平成バブル紳士の筆頭格ともいえる故高橋治則・EIE元代表が率いていた「草月グループ」がそれだ。その後、月日は流れグループは解体、主要関係者は逮捕や自殺などで株式市場から姿を消した。突然亡霊のように甦った椿容疑者は日本送還後、何を語るのか。

 椿容疑者がかかわっていたのは、オー・エイチ・ティー(OHT)株をめぐる相場操縦事件だ。2007年5月中旬、それまで100万円前後で推移していたOHT株は突如として値を下げ、ほぼ1週間で3分の1に急落した。

 実はそれまでの高株価は関係者による頻繁なクロス取引で維持されていたもので、その資金が続かなくなったため暴落したのだ。翌月上旬、金融ブローカーと投資会社社員の2人がさいたま地検によって逮捕される。容疑はその4年前に行っていた川上塗料株の相場操縦をめぐるものだったが、OHT株の高値維持工作を行っていたのも彼らだった(のちにOHT株の相場操縦事件でも起訴)。

 この背後で糸を引いていたのが、当時は現役の弁護士だった椿容疑者だ。2005年6月、OHTはシンガポール籍の正体不明の法人を引受先に21億円の第三者割当増資を行っていた。その法人の日本における常任代理人になっていたのが椿容疑者で、相場操縦まがいのクロス取引はその時から始まっていた。OHT株の株価維持工作には7億円ほどが投じられていたが、そのうち9割は椿容疑者が用立てたものだった。ところが黒幕ともいえる椿容疑者は株価暴落の前後に関係者の前から忽然と姿を消してしまっていたのである。

 椿容疑者の下で売買を担当していた前述の投資会社社員は、暴落の数日後にやっとのことで電話が通じた際のやりとりを公判でこう語っている。

「開き直っちゃったんだよね」と話す椿容疑者に対し、投資会社社員は「逃げちゃうんですか?」と問い詰めた。すると、椿容疑者からは「ひどいよね」とまるで他人事のような返事があったという。

 当時、椿容疑者はシンガポールに逃げていたようだが、その後、タイに入国し、ほぼ9年間の潜伏生活を続けていたことになる。この間、椿容疑者に対しては07年12月に逮捕状が発付され、14年11月には外務省から旅券返納命令が出された。また弁護士資格も失った。11年1月に第一東京弁護士会から退会命令が下され、同年3月には登録取り消し処分となっている。

華麗なキャリアの国際派弁護士、その裏の顔

 表向き椿容疑者は華麗なキャリアを歩んでいた。東京大学卒の国際派弁護士で、代表を務める「椿総合法律事務所」は六本木ヒルズの34階にオフィスを構えていた。かつてNHKのニュース番組に出演していた有名女性キャスターと一時期結婚していたことでも知られる。

 しかし、その裏では株にのめり込み遵法精神のかけらもなかった。法律事務所とは別に東京・麻布にはディーリングルームを持ち、OHT株の相場操縦では自分の運転手の名義など複数の借名口座を用意し投資会社社員らに使わせていた。

 当時何かにつけ話題を呼んでいたヒルズ族の弁護士というだけでなく、事件発覚時、椿容疑者が注目されたのにはもうひとつ理由があった。それが、高橋元代表が率いる草月グループとの関係だった。

 1980年代の平成バブル時、高橋元代表は「環太平洋のリゾート王」と呼ばれるほど派手な不動産投資を行っていた人物だ。が、バブル崩壊で不良債権の山を築き、メーンバンクだった旧日本長期信用銀行が破綻する一因ともなった。挙げ句、高橋元代表は親密な信用組合から違法に融資を引き出していた背任事件(二信組事件)で逮捕されてしまう。95年6月のことだ。

 経済的にもほぼ破産状態になった高橋元代表だったが、90年代末期にひそかに復活していた。経営不振企業のエクイティ・ファイナンスを巧妙に利用する錬金術に活路を見いだしたのである。手始めとなったのが日本エム・アイ・シー(その後、トランスデジタルなどに社名変更)で、さらにユニオン光学(後にユニオンホールディングスへと社名変更)や、オメガ・プロジェクト(後にオメガプロジェクト・ホールディングス、現・伊豆シャボテンリゾート)などを手掛け、水面下で実質的なオーナーとして振る舞った。

 03年頃から高橋元代表の関係企業は東京・赤坂にある草月会館に集結し始めた。そして自らを草月グループと名乗るようになったのである。高橋元代表とともに二信組事件で逮捕された山口敏夫・元労働大臣もグループには出入りしていた。

草月グループの瓦解

 実は高橋元代表の顧問弁護士の1人が椿容疑者だった。同代表が手掛けた大盛工業で一時期、大株主だった英領バージン諸島籍の法人で椿容疑者が常任代理人を務めていたという接点もある。また、OHT事件で逮捕された金融ブローカーがオーナーで、同じく投資会社社員が日本代表となっていたシンガポール法人が草月会館内に日本事務所を登記していたとの事実もある。

   もっとも、OHT事件が発覚した頃、草月グループは瓦解の過程にあった。きっかけは高橋元代表が05年7月に急死したことだ。葬儀では椿容疑者と金融ブローカーも参列者として目撃されている。

 急死後しばらくたつと、グループ内では跡目をめぐり内紛が起きた。主導権を握ろうとしたユニオンホールディングスの横濱豊行社長(当時)が高橋元代表の長男や古参幹部の追い出しを図ったのである。また、傘下に入れていたTTGホールディングスで粉飾決算が表面化し、同社は07年1月に上場廃止へと追い込まれた。そして起きたのが同年5月のOHT株の暴落だった。さらに同年12月にはユニオンホールディングス株も暴落し、その煽りでグループ内の株売買窓口だったUSS証券が破産している。

 とどめとなったのは当局による苛烈な取り締まりだ。09年11月、ユニオンホールディングス株をめぐる相場操縦事件で横濱社長ら関係者が大量に逮捕されたのである(続いて偽計事件でも逮捕)。

 この捜査の過程では参考人だった会社役員がJR新横浜駅近くの倉庫内で首吊り自殺をしている。高橋元代表の復活当初から資金支援していた人物で、内紛発生後には横濱社長らから離反する動きを見せていた。そのため草月グループはオメガプロジェクト・ホールディングスの支配権を失い、解体は急速に進んでいた。

遠い真相究明

 そして、誰もいなくなった――。9年というあまりにも長い歳月を経て、椿容疑者が連なっていた仕手グループは跡形もなくなった。相場操縦の舞台となったOHTでもその後、粉飾決算が明らかになり、同社も株式市場から退場している。今後、当局は椿容疑者をめぐる疑惑の解明を再開することになるが、得られるものは乏しいだろう。

 OHT株事件をめぐっては、椿容疑者追及の急先鋒を務めていた検事出身の弁護士がいた。が、その弁護士も10年8月にフィリピンで自殺してしまっている。司法修習をめぐる個人的トラブルが背景にあったとされる。当時、弁護士が注目していたのは相場操縦の資金に暴力団筋のカネが入り込んでいたとの情報だった。果たして、それはどこまで明らかになるだろうか。
(文=高橋篤史/ジャーナリスト)

高橋篤史/ジャーナリスト

高橋篤史/ジャーナリスト

1968年生まれ。日刊工業新聞社、東洋経済新報社を経て2009年からフリーランスのジャーナリスト。著書に、新潮ドキュメント賞候補となった『凋落 木村剛と大島健伸』(東洋経済新報社)や『創価学会秘史』(講談社)などがある。

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