
8日、天皇陛下はあくまで「私が個人として、これまでに考えてきたことを話したいと思います」と前置きをなされつつも、以下のように心境を語られ、以前より報じられていた「生前退位」への強いご意向をお示しになられたとも受け取れる発言をなされた。
「従来のように重い務めを果たすことが困難になった場合、どのように身を処していくことが、国にとり、国民にとり、また、私のあとを歩む皇族にとり良いことであるかにつき、考えるようになりました」
「全身全霊をもって象徴の務めを果たしていくことが、難しくなるのではないかと案じています」
「天皇の高齢化に伴う対処の仕方が、国事行為や、その象徴としての行為を限りなく縮小していくことには、無理があろうと思われます」
今回のご表明をめぐっては、すでにさまざまな解釈がなされているが、専門家の間でも高い関心を集めているのが、天皇陛下ご自身の崩御について触れられた次のご発言である。
「天皇が健康を損ない、深刻な状態に立ち至った場合、これまでにも見られたように、社会が停滞し、国民の暮らしにもさまざまな影響が及ぶことが懸念されます。さらに、これまでの皇室のしきたりとして、天皇の終焉に当たっては、重い殯(もがり)の行事が連日ほぼ2カ月にわたって続き、その後喪儀(そうぎ)に関連する行事が、1年間続きます。そのさまざまな行事と、新時代に関わる諸行事が同時に進行することから、行事に関わる人々、とりわけ残される家族は、非常に厳しい状況下に置かれざるを得ません。こうした事態を避けることはできないものだろうかとの思いが、胸に去来することもあります」
上記のなかで天皇陛下は、「社会が停滞し、国民の暮らしにもさまざまな影響が及ぶことが懸念されます」とされておられるが、具体的にはどのような状況なのであろうか。
昭和天皇が崩御された昭和64年(1989年)当時の状況について知る元新聞記者に、解説してもらった。
長い5カ月間
昭和天皇は崩御前年の昭和63年9月19日に大量吐血なされ、翌昭和64年1月7日に崩御されるまでの約3カ月間、マスコミ各社は特別取材体制を敷いて連日報道合戦が繰り広げられました。この間、宮沢喜一・蔵相が先進7カ国蔵相・中央銀行総裁会議を欠席するなど、政治にも大きな影響を与えました。