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「日の丸」液晶会社JDI、存亡の危機…今期業績算定困難、サムスンに全然歯立たず

文=編集部
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本間充会長兼CEOの役割

 15年6月末に、元三洋電機副社長の本間氏が、新設された会長兼CEOに就任した。社長兼最高執行責任者(COO)には有賀修二取締役が昇格した。親会社の官民ファンドの革新機構は同年6月30日、日産自動車副会長の志賀俊之氏が、非常勤で会長兼CEOに就いた。

 会長になった本間氏は、三洋時代に「電池の顔」といわれた人物。三洋が銀行管理になっていた時、三井住友フィナンシャルグループとゴールドマンサックスから副社長が送り込まれたが、本間氏は生え抜きで唯一、副社長として経営を担い、「将来の三洋の社長候補」といわれていた。

 三洋はパナソニックに吸収されたが、パナソニックの津賀一宏社長とソリが合わず、13年に退社した。

「本間氏は、三洋でハイブリッド専用の電池をやっていた。ハイブリッド用電池はパナソニック=トヨタ連合と、三洋=ホンダ連合が勢力を二分するライバル関係にあったから、パナソニックでの本間氏の立ち位置は微妙だった」(関係者)

 捨てる神あれば、拾う神ありだ。本間氏に手を差し伸べたのが経産省=革新機構だった。13年、水面下で“日の丸電池”統合構想が進められていた。革新機構主導でソニーの電池子会社と、日産自動車とNECの合弁電池会社を経営統合。新会社に革新機構が出資し、社長に本間氏を据えるというシナリオだった。

 ところがソニーが電池事業を自前でやると言い出して離脱したため“日の丸電池”構想は白紙に戻った。革新機構は、JDIのトップに据えることで本間氏に借りを返したことになる。

 JDIにおける本間氏の使命は、シャープを手際よく解体することだったはずだ。革新機構の志賀CEOと連係し、シャープの解体を実現できれば大成功だったが、シャープは鴻海精密工業に奪われてしまった。本間氏が託されたミッション(使命)は失敗に終わった。

 本間氏のエピソードを紹介しておきたい。三洋の経営が傾いたのは、08年に開催された北京オリンピックの時期と重なる。

「『オグシオ』と呼ばれ、絶大な人気を誇った小椋久美子と、潮田玲子のいたバドミントン部を潰せと銀行団が要求したが、彼が体を張って存続させた」(三洋の元役員)

「三洋で出世できたのは、井植家3代目の敏雅さん(8代目社長で三洋を事実上潰した張本人)と大学が同じ甲南大学出身だったから。オーナーと同窓ということで可愛がられた。敏雅さんが電池の責任者になったので本間さんはついていった。本間さんは敏雅さんの番頭のような存在だった」(別の三洋の元役員)

BusinessJournal編集部

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