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片山修のずだぶくろトップインタビュー 第3回 牧野明次氏(岩谷産業 代表取締役会長兼CEO)

「先見の明がありすぎる」企業・岩谷産業、25年前から水素社会予見しリーダー企業に

構成=片山修/経済ジャーナリスト、経営評論家
「先見の明がありすぎる」企業・岩谷産業、25年前から水素社会予見しリーダー企業にの画像1牧野明次(まきの・あきじ):1941年大阪府生まれ。65年岩谷産業入社。常務取締役、専務取締役を経て96年岩谷瓦斯代表取締役社長。98年岩谷産業取締役副社長、00年代表取締役社長。12年より現職。(撮影=相澤正)

 安倍政権は成長戦略の一環として「水素社会の実現」を掲げている。2020年の東京オリンピック・パラリンピックでは、水素社会のビジョンを国内外に広くアピールする構えだ。

 オリンピック会場周辺に水素ステーションを大幅に増やすほか、新国立競技場や選手村に燃料電池や水素ガスタービンを設置し、照明や冷暖房の電力を賄う計画だ。また、オリンピックの選手や関係者の輸送に、燃料電池車(FCV)や燃料電池バスを採用する方針だ。

 水素社会の推進役を担うのは、水素の国内市場シェア7割を誇る岩谷産業で、複数社と協力して、オリンピックの競技場に水素発電によって電力を供給するミニプラントの建設を進めようとしている。

 化石燃料の枯渇が懸念されるなかで、水素は地球上に無尽蔵に存在する。ロケット燃料として利用されるほど燃料としてハイパワーであり、燃焼後には水となるためクリーン、かつ電気のように貯蔵や輸送中のロスがないなど、メリットは大きい。エネルギー問題、環境問題、さらに新産業創出という3つの側面から期待が集まる新資源なのだ。

 岩谷産業代表取締役会長兼CEO(最高経営責任者)の牧野明次氏は長年、水素社会実現の夢を追い、普及の旗振り役を務めてきた「ミスター・水素」である。牧野氏の水素にかける思いを聞いた。

東京五輪の聖火を水素で

片山修(以下、片山) 牧野さんは、水素の“伝道師”だと聞いています。ようやく水素が注目を集め始めましたが、感慨深いものがおありではないでしょうか。

牧野氏(以下、牧野) そうですね。われわれは水素が工業用利用だけではなく、自動車をはじめさまざまなものに利用できる時代になってほしいと、思い続けてきましたからね。

片山 いまや、水素は政府のお墨付きです。20年の東京オリンピックは、日本の水素技術をアピールする絶好の機会ですよね。

牧野 私はね、安倍首相が水素に力を入れてくださって、「これで日本は変わる」と思ったくらいですよ。東京オリンピックの競技場周辺に設置した水素発電設備と水素ステーションを、来場者が見学できるようにしたいと思っているんです。海外のお客様が、日本の水素技術の高さを実感できる場を設ける。経済的には損になるかもしれません。しかし、日本の技術を発信するためには、これをやるべきなんですよ。

 それから、聖火です。1964年の東京オリンピックの聖火には、岩谷産業がプロパンガスを提供しました。20年の東京オリンピックの聖火は、ぜひ水素でやりたい。

「先見の明がありすぎる」企業・岩谷産業、25年前から水素社会予見しリーダー企業にの画像2(撮影=相澤正)

片山 それはいいですね。聖火はオリンピックの象徴ですから、水素の新エネルギーとしてのイメージを普及させるにはもってこいじゃないですか。

牧野 そうなんです。ただ、水素の炎は無色でホワッとした頼りない炎なんですよ。ですから、鮮やかな赤色でメラメラ燃えるような炎が出る技術を開発しました。採用されるかどうかは別としてね。

水素事業で70年以上の歴史

片山 岩谷産業は、もともとは酸素やカーバイドなどの溶接材料を扱う溶材商でした。1930年創業で、水素は41年に販売開始ですから、じつに70年以上の歴史がある。

牧野 創業者の岩谷直治には、先見の明があったんでしょうね。ようやく水素社会が実現しようとしているわけですからね。

 岩谷産業は、58年に大阪曹達(現大阪ソーダ)から塩素精製の際に出る排ガスを調達して水素を精製する大阪水素工業(現岩谷瓦斯)をつくりました。実は当時の大阪曹達社長は、私の叔父でした。ですから、私はもともと水素にご縁があるんですね。その後、岩谷産業は78年に国内初の大型商用液化水素製造プラントを本格稼働させています。

片山 液化水素といえば、ロケット燃料ですよね。

牧野 当時の宇宙開発事業団(現宇宙航空研究開発機構)から依頼があって、岩谷直治が「よし、わかった。うちでつくってみよう」と引き受けた。損得は関係なしですよ。以来、日本から打ち上げるロケットの液化燃料は、一貫して岩谷産業が担っているんです。

 私が岩谷産業に入社した65年当時、創業者が「そのうち、飛行機も水素で飛ぶ時代になる」と話した言葉が、耳に残っています。

片山 牧野さんが、水素に深くかかわるようになったのはいつからですか。

牧野 89年に、米コネチカット州ダンベリーにあるユニオンカーバイドに出向した。そこで、液化水素の製造コストを下げる方法を教わったんです。そのときからですね。

片山 もう四半世紀以上じゃないですか。

牧野 そうなりますね。学んだのは、製造した液化窒素の冷熱を、水素の液化に利用するという方法でした。電気代を大幅に圧縮できるんですね。当時、日本ではまだ誰も導入していなかった。技術的に難しかったことと、装置が高くつく、つまり設備投資が大きくなることが課題だったんだと思います。

 しかし、私はどうしてもこれを日本でやってみたかった。当時、岩谷産業は酸素、窒素、アルゴン、炭酸ガスなどを主に扱っていましたが、どれも競争が激しい。であるならば、創業者が注目していた水素に注力すべきだと考えたんです。よそがしていないものに力を入れて、普及させる。もともと岩谷産業は水素に強くて、液化水素はうちしかやっていませんでしたから、これをもっと強力にやっていくべきと考えました。水素普及には、コスト低減は不可欠ですから、米国で学んだ方法を、日本で実現する必要があったんですね。

「先見の明がありすぎる」企業・岩谷産業、25年前から水素社会予見しリーダー企業にの画像3(撮影=ケイオフィス)

片山 ただし、当時はまだ水素事業に理解がなかったのではないですか。

牧野 そうなんです。90年に帰国後、「液化水素に注力すべき」と社内に提案して回りました。しかし、「液化水素なんか、ほんまに儲かるのか」「売れるのか」「大丈夫か」と、疑問や反対の声が強かった。ただ、私は水素はいずれ必ず普及すると思っていましたから、説得して説得してね。根気強く説得しましたよ。いまごろになって「先見の明があったんやな」なんていわはります。

片山 反対されながらも推し進めてこられただけに、思い入れがおありでしょう。説得の結果が、06年に関西電力と共同出資で立ち上げたハイドロエッジですね。

牧野 そうです。国内最大の液化水素精造プラントを大阪府堺市に稼働させることができました。まあ、ハイドロエッジをつくったときも、社内は冷たかったですよ(笑)。自分が社長でしたから、旗を振って「大丈夫だからついてこい!」ってやってただけで、みんなシラッとしていたような気もします。先行投資の度が過ぎていたかもしれませんが、今となってはまったく間違いではなかったと思っています。

積極的な普及活動

片山 水素社会といえば、燃料電池車(FCV)です。岩谷産業はFCVをはじめ、水素を燃料とする自動車の普及活動にも積極的に取り組んでいますね。

牧野 04年に、トヨタとホンダのFCV各1台で、当時東京都知事だった石原慎太郎さんと、大阪府知事だった太田房江さんが相互にあてたメッセージを載せて、国内初の東京―大阪間のFCV長距離高速走行に挑戦しました。

 東名・名神高速道路を通行するにあたっては、当時はトンネル通過に許可が必要でした。そんな時代ですよ。その頃はまだ水素ステーションはありませんから、FCVの後ろを、岩谷産業の移動式水素ステーションを搭載したキャリアカーが追走して、途中で水素を充填したんですね。

片山 大昔の話のようですが、ほんの12年前ですよ。信じられないですね。

牧野 07年には、FCV2台と水素自動車1台で、総距離5930kmに及ぶ日本縦断キャラバンを行いました。57カ所の都市に立ち寄り、小中学校で34回に渡る水素サイエンス教室を開催したんです。のべ約1万人の子どもたちが参加しました。

 水素というと、二言目には「危ない」とおっしゃる方がいますでしょ。いやいや、そしたらペンだって、お箸だって、目やノドを突けば危ないです。使い方を誤れば、水素も危ない。ただ、上手に使えば、水素は優れたエネルギー源であり、ルールを守れば安全に利用できることを、子どもたちに伝えたかったんですね。

カギは水素ステーション

片山 トヨタは14年末、世界に先駆けてFCVの市販を開始しました。16年には、ホンダもリース販売を開始したほか、マツダは水素自動車を開発するなど、日本は水素自動車先進国です。

 とはいえ、「水素社会」の課題は少なくない。例えば、FCVのインフラすなわち水素ステーションの整備は大きな問題ですね。

牧野 岩谷産業は、16年3月までに四大都市圏を中心に全国20カ所に水素ステーションを整備したほか、ホンダとの共同研究で簡易型のスマート水素ステーション(SHS)を開発し、設置を進めています。コンビニエンスストア併設型の水素ステーションの設置も進めています。

 それから、水素ステーションの営業時間は9時から17時としていましたが、FCVユーザーの利便性を考えて、今年3月末から平日は夜22時までとしました。お客様の安心感、利便性がなければ、普及は進みませんからね。

片山 最大の課題は、水素価格でしょうか。経済産業省は、14年6月に策定した「水素・燃料電池戦略ロードマップ」において、水素価格は「2020年頃にハイブリッド車の燃料代と同等以下」の実現を目指すとしました。岩谷産業は、この数値を5年前倒して実行しましたね。

牧野 同車格のHV(ハイブリッド車)が1km走行するのに必要なガソリン価格と、FCVが1km走行するのに必要な水素価格が同等となるよう、水素1kgを1100円と設定したんです。

 現状は赤字ですよ。でも、現在だけの損得勘定で考えれば、新しい技術や新しい世界は生み出せません。水素価格をガソリン価格に合わせれば、自動車を購入するお客様が、FCVをガソリン車と同じまな板の上に載せてくれて選んでくれると考えました。水素を普及させることこそが、先決なんですね。

片山 この決断は、足下の数字だけに気を取られていては、とてもできない。しかし、長い目で見れば、水素普及はエネルギー問題や環境問題、経済の発展に多大な役割を果たすのは必須です。水素が普及すれば、必然的に水素のコストが下がり、将来的には岩谷産業の利益にもつながりますね。

牧野 岩谷産業の企業理念は、「世の中に必要な人間となれ、世の中に必要なものこそ栄える」です。水素こそ「世の中に必要なもの」である。だからこそ、当面の赤字覚悟で水素普及に力を入れているわけです。

 ただ、われわれは自分だけが儲かろうなんて思っていないんですね。いろんな会社さんに、水素に関するビジネスにどんどんご参入いただきたい。それによって、新しいアプリケーションが出てくる。水素をつくる会社も出てくる。それが、日本の産業革命につながればいちばんいいと、私は思っているんです。

片山 水素社会の幕が今、ようやく開けようとしていますね。

牧野 まだまだ道半ばです。将来的には、化石燃料でない電気を使って水を分解して水素をつくり、液化水素を海外に輸出したい。そうなれば、日本は資源国に生まれ変わります。そうなることが、私の夢なんですね。

【牧野さんの素顔】

片山 ストレス解消法を教えてください。

牧野 あまりストレスを感じない性格だとは思っていますが……。ただ、みんなでワイワイガヤガヤ楽しくお酒を飲んだりゴルフをしたりすることが、結果的にストレス解消になっているのだと思いますね。

片山 ご自分の性格を一言で表わすといかがですか。

牧野 自分の性格は自分ではよくわかりませんが、家内からはよく「せっかち」と言われます。

片山 好きな食べ物/苦手な食べ物はありますか。

牧野 和食が全般的に好きです。やはり日本人ですね。ただ、トマトだけは食べたことがないです。

片山 いってみたい場所、もしくは再訪したい場所があれば教えてください。

牧野 孫たちを連れて、ハワイでのんびりしたいですね。

片山 最近お読みになった本はありますか。

牧野 ありきたりなのですが、最近ベストセラーになった石原慎太郎の『天才』(幻冬舎)を読みました。
(構成=片山修/経済ジャーナリスト、経営評論家)

片山修/経済ジャーナリスト、経営評論家

片山修/経済ジャーナリスト、経営評論家

愛知県名古屋市生まれ。2001年~2011年までの10年間、学習院女子大学客員教授を務める。企業経営論の日本の第一人者。主要月刊誌『中央公論』『文藝春秋』『Voice』『潮』などのほか、『週刊エコノミスト』『SAPIO』『THE21』など多数の雑誌に論文を執筆。経済、経営、政治など幅広いテーマを手掛ける。『ソニーの法則』(小学館文庫)20万部、『トヨタの方式』(同)は8万部のベストセラー。著書は60冊を超える。中国語、韓国語への翻訳書多数。

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