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江川紹子の「事件ウオッチ」第64回

もはや理想主義者による自己満足の結晶!? 異論噴出の【日弁連・死刑廃止宣言】の現実離れ度

文=江川紹子/ジャーナリスト
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 宣言では、4年後の2020年までの死刑廃止を目指すとした。冤罪の危険性と死刑廃止が国際社会の潮流となっていることを挙げたうえで、死刑廃止を求める理由として、次の2点を挙げている。

〈死刑は国家による重大な人権侵害である〉
〈私たちが目指すべき社会は、罪を犯した人も最終的には受け入れる寛容な社会であり、全ての人が尊厳をもって共生できる社会である〉

 確かに、日本の社会は「前科者」に対して厳し過ぎ、排除的傾向が強いと私も思う。罪を犯した人でも、受刑を終えて責任を果たした後には、社会の中で居場所が必要だ。しかし、どんな罪でもか、と問われれば、ためらう。たとえば、オウム真理教の教組が再び社会に戻ってくるという事態は、想像するだけでも耐え難い。

 日弁連執行部が説く「目指すべき社会」とは、おそらくノルウェーのような国をイメージしているのだろう。この国では、77人が殺害されたテロ事件が起きた時にも、人々は「憎しみより愛」を訴え、犯人に対する裁判所の判決は懲役21年にとどまり、刑務所では寝室や運動室など3部屋を与えるほか、テレビやゲーム機も使えるような快適な環境を提供している。それでも、このテロ実行犯は、他の受刑者と隔離して収容されていることなどを不服として、裁判に訴え、勝訴した。これには、さすがに怒りを表明している被害者もいるようだ。

 こういう社会を日本も目指すべきであり、だから死刑を廃止せよと言われて、どれほどの人が共感するだろうか。そもそも、「目指すべき社会」は人によって必ずしも一様ではない。犯罪被害者からすれば、「犯罪者を受け入れる社会の前に、死刑が必要な凶悪犯罪のない社会を、まずは目指すべき」ということになろう。

 個々の事件の判断に「民意」を持ち込むのは慎むべきだが、刑罰全般のあり方を決めるには、少なくとも国民の納得や了解というものが必要だと思う。

 宣言では、死刑の代替刑として、「仮釈放の可能性がない終身刑」もしくは、仮釈放の開始時期を現行法の「10年」から20年、25年などに伸ばす「重無期刑制度」を導入するとしている。ただし、「仮釈放の可能性がない終身刑」は非人道的刑罰であるので、更生が進んだところで「無期刑への減刑」を求めている。

 確かに、刑法上は服役10年で仮釈放は可能だが、最近、そのような短期で釈放された者はいない。2004年の刑法改正で懲役刑の最長が30年となり、09年以降に仮釈放された無期懲役受刑者の平均服役期間は30年を超えている。新たに導入するまでもなく、「重無期刑」化している。無期懲役受刑者は、仮釈放される者より、所内で死亡する者の方がずっと多く、50年以上の服役をしている者もいる。事実上の終身刑は、すでに行われている。日弁連の提案は、ほとんど何の意味もない。

 結局のところ、日弁連が目指しているのは、ただ死刑制度を廃止して、それ以外の現状はそのまま、というのとあまり変わらないのではないか。

 死刑制度を廃止するということは、どんな凶悪な犯罪で、どれほど多くの犠牲が出ても――たとえば数百人が殺害されるテロ事件が起きても――その犯人に死刑は適用しない、ということである。現に人々の心胆を寒からしめる犯罪が起きており、テロの心配も語られる中、死刑は存置すべき、もしくは死刑廃止は時期尚早と考える国民の8割以上に対して、日弁連が説く理想はどれほど説得力を持つだろうか。

江川紹子/ジャーナリスト

江川紹子/ジャーナリスト

東京都出身。神奈川新聞社会部記者を経て、フリーランスに。著書に『魂の虜囚 オウム事件はなぜ起きたか』『人を助ける仕事』『勇気ってなんだろう』ほか。『「歴史認識」とは何か - 対立の構図を超えて』(著者・大沼保昭)では聞き手を務めている。クラシック音楽への造詣も深い。


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