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北方領土返還は「ない」…米国の意向受け60年間進展なし、露側の二島返還を封殺

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 以後、マスコミによる北方四島の現地取材は鳴りを潜めた。筆者は90年代初め、サハリン残留日本人の取材などで札幌のロシア領事館の副領事と親しかった。彼は「北方領土に大した秘密はありません。ロシア人はあんなに遅れた場所を、経済発展した日本人には見せたくないんです」と話していた。当時、サハリンを訪れると戦中時代のままじゃないかと思うほどインフラ整備は遅れており、「ましてや北方四島は」と思うとその言葉もうなずけた。

 95年、政治家として島に初めて入ったのは鈴木宗男氏だ。その時、旧島民が墓に桜を植えようと苗を持って行ったため、ロシア側が検疫を求めた。外務省の随行員が「検疫は外国と認めることになる」と拒否したことから「なんで旧島民の想いを踏みにじるんだ」と怒った鈴木氏と言い争いになった。

旧ソ連、一時は二島の返還を実行か

 北方領土問題は「国益」の名のもと、根室市に多い旧島民まで本音を封殺されてきた歴史がある。北方四島に生まれ育ち親の墓などがあった旧島民について戦後、旧ソ連が人道的見地としてパスポート、ビザなしの墓参を認めていた。

 ところが76年のミグ25戦闘機の亡命で日ソ関係が悪化しソ連がパスポートを求めたため、政府は86年に再開されるまで10年間、北方墓参を中止させた。当時でも旧島民の多くは高齢だ。「パスポートだろうがビザだろうが俺の目が黒いうちに墓参りくらいさせてくれ」の本音は封じられた。色丹や歯舞の出身者も国後、択捉の出身者に遠慮もあり二島返還を言いにくい。最近の根室取材では「国賊みたいに言われるだろうけど、島は要らんから漁業権だけ返してほしい」と吐露する旧島民二世の漁協幹部に出会った。

 筆者は通信社時代、サハリン生まれで戦後シベリアに抑留されロシア女性と結婚し、旧ソ連の漁業公団職員となった佐藤宏氏(故人)から「59年12月に色丹、歯舞を視察したら、住民がほとんど引っ越していた」と直接聞き、特ダネとして配信した。旧ソ連は二島の返還を準備していた。佐藤氏の証言は目撃談だが、サハリン州公文書館に通い詰めたある学者は「ロシア住民が歯舞、色丹から引き揚げたという文書がある」と話す。

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