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牧野知弘「ニッポンの不動産の難点」

35年間も膨大なローン返済した「自分の家」に、老後は縛り付けられる不幸

文=牧野知弘/オラガ総研代表取締役

 そして定年。退職金の一部までもローン返済に充てて、なんとか戸建て住宅は「自分のものになった」が、すでに子供たちも家を出て都心に住み、周囲は高齢者ばかり。坂ばかりの郊外戸建て住宅地は決して高齢者にとって、住みよい街ではなくなっている。それでも「家を持っている」から住み続けなければならない。昔のように、売る気になればいつでも高い値段で売れた時代は過ぎ去り、今やまったく流動性がなくなった家の中で、老後生活を送らなければならない。

 さて、家の所有権とはなんなのだろうか。見方を変えるならば、ものすごい苦労の後に手にした家が、今の自分を縛りつけているとも考えられないだろうか。

 多額の住宅ローンの返済のために、人生を豊かにするはずのお金のほとんどが、「家を持つ」ための資金に振り替えられた結果、彼らの人生にはどんな彩りができたというのだろうか。高齢者ばかりで、しんと静まり返った郊外戸建て住宅地の中で、ローン返済を終えた住民の多くは今、何を想うのだろうか。

現代の「家」事情

「賃貸住宅で家賃を払うくらいなら、住宅ローン返済していたほうが、最後に家を持てるのだからトクですよね」という使い古された勧誘文句がある。確かに、所有権を確保するためにローン返済を続けている行為は、自らの資本を充実させるための「投資」と位置付けることができる。

 一方で、賃貸住宅に住んで家賃を払い続けても、それはいつまでたっても会計上の「費用」でしかない。一見するとこの理屈はまことにもっともにみえる。

 所有権を持つということは、「その対象を自らの手で自由に使うことができる権利」と言い換えてもよいかもしれない。他人の物を使用するために費用を支払い続けても、しょせんは自分の所有物ではないので、自分の自由にはならない。費用だけを「捨てている」と考えるのが、この勧誘文句の根拠だ。

 ところで、ローンを組んででも所有したい、あるいは所有しなければならない「家」という存在はなんだろうか。「家」が絶対的なもの、永続的なものと考える限りにおいて、家を持つ、という効用は人生をかけるに値するかもしれない。

 しかし、今の日本では家族という共同体は、大きく変容している。働き手は父親だけだったものが、夫婦は共に働くようになり、子供は幼少期から保育所に預けられ、家族が共に過ごす時間は、昔よりも圧倒的に少なくなっている。

牧野知弘/オラガ総研代表取締役

牧野知弘/オラガ総研代表取締役

オラガ総研代表取締役。金融・経営コンサルティング、不動産運用から証券化まで、幅広いキャリアを持つ。 また、三井ガーデンホテルにおいてホテルの企画・運営にも関わり、経営改善、リノベーション事業、コスト削減等を実践。ホテル事業を不動産運用の一環と位置付け、「不動産の中で最も運用の難しい事業のひとつ」であるホテル事業を、その根本から見直し、複眼的視点でクライアントの悩みに応える。
オラガ総研株式会社

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