ユーシンは株主総会で役員報酬総額の上限をそれまでの10億円から3倍の30億円に引き上げ、田邊氏はすぐさま7割増しの役員報酬を手にした。さらに、続く15年11月期の最終損益の黒字は2億2600万円にとどまったが、田邊氏の基本報酬は前年比1.2倍の9億3500万円で役員賞与はなしと決定された。このうち5200万円を返上して、役員報酬は8億8300万円となった。ところが有価証券報告書では、なぜか8億8200万円となっている。高額報酬の批判を浴びたため、ほんの一部返上したのだろうといわれている。

 それでも、社外取締役を除く取締役8人の基本報酬総額10億9500万円のうち、実に85%が田邊氏の取り分だ(返上前の基本報酬9億3500万円で計算)。役員報酬を“一人占め”にした格好だ。

 有価証券報告書によると、役員の報酬の返上分は5800万円で、このうち田邊氏は5200万円となっている。返上後の報酬総額は10億3700万円で、田邊氏の取り分は8億8200万円であるため、占有率は同じく85%だ。

 16年11月期の最終損益は96億5900万円の大赤字。役員報酬はまだわからないが、基本報酬はさほど変わらないといわれている。ユーシンは2月24日、第115回定時株主総会を開催するが、そこで株主から役員報酬について厳しく追及されるのは確実だ。役員報酬の返上を求められることになるだろう。

二女・田邊世都子氏をどう処遇するのか

 田邊氏は06年、元日産自動車常務で自動車部品会社ナイルス(現ヴァレオジャパン)の社長だった竹辺圭祐氏を社長に招き、自らは最高顧問に退いたが、わずか2年で社長に復帰した。

 10年には、社長公募という奇策に打って出た。元外務省キャリア官僚の八重樫永規氏を選出して社長代行に据えたが、「商売には向いていない」として、あっさりクビにした。14年にも、2度目の社長公募に乗り出したが、「いい人材がいない」と書類選考の段階で打ち切った。

 15年9月12日付日本経済新聞は、「自動車部品のユーシンは次期社長の公募を断念、2016年2月から3人の役員による集団経営体制を取る。1978年からトップを務める田辺耕二会長兼社長(81)は現職にとどまるが、意思決定には参加しない」と報じた。

 表向きは、16年2月から集団経営体制に移行したことになっているが、田邊氏は代表取締役会長兼社長を続投し、代表権を手放さなかった。