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江川紹子の「事件ウオッチ」第71回

両陛下や国民の思いは蔑ろ?有識者会議による「論点整理」への疑念と懸念

文=江川紹子/ジャーナリスト
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 国民は、これまでの陛下の行動を伝える報道の場面を思い出しながら、陛下がどのような思いでおられたのかを知り、深く心を打たれたのではなかったか。私も、宮内庁のホームページに掲載されている映像を何度も再生し、おことばを繰り返し聞き返しながら、被災地でのお見舞いや戦没者の慰霊の旅などでのお姿が次々に心に思い浮かんだ。

 国民と苦楽をともにすると言うが、今上陛下の場合、国民の中でも今、最も困難な状況にいる人たちに心を寄せる、ということを、ずっと意識されていたように思う。

 2011年3月の東日本大震災と東京電力福島第一原発の事故の後の、陛下のビデオメッセージや被災者への相次ぐお見舞いは、多くの人がよく覚えていると思う。それと共に、私が忘れられないのは、長野県栄村へのご訪問だ。

 栄村は、東日本大震災の翌日、震度6強の大地震に見舞われた。村内の200戸が全半壊した。人口2000人足らずの村で、一時は1700人が避難。地震そのものでの死者はなかったが、避難生活中に3人が亡くなった。

 しかし、当時の私の関心は、死者・行方不明者が2万人近くに上った東北地方の状況や、原発事故の影響にほぼ100%向けられていて、この村の被害に思いを致す余裕はなかった。マスメディアでの報道も圧倒的に少なく、栄村は忘れられた被災地であった。

 その栄村を、天皇皇后両陛下が訪れられたのは、翌年7月だった。陛下は、本当はもっと早く、前年秋に訪問をされるおつもりだった。しかし陛下ご自身が体調を崩され、気管支肺炎で入院されたため、この時期になったのだ。

 両陛下は、32度の炎天下に、仮設住宅で生活している一人ひとりに「大変だったでしょう。もう少し早く伺いたかった」などと声をかけ、励まされた。

 メディアの関心の外にあり、私を含めた人々の関心の外にあったこの村の災害を、両陛下はずっと気にかけておられたのだ。そして、ご自分たちが訪問なさることで、メディアが報じ、国民の目がこの地に向けられ、ここが「忘れられた被災地」ではなくなることを、意識されていたのだろう。

垣間見える首相官邸の意向

 両陛下は、皇太子同妃時代から46年かけて、全国14カ所あるハンセン病の療養施設すべてを訪問されている。強制隔離政策による人権侵害を受けた元患者らを励ますだけでなく、自ら手を取って語り合う姿を見せることで、差別・偏見をなくしたいという思いがあったに違いない。

 こんなふうに、ご自身が困難な人たちに寄り添うだけでなく、そういう人々と多くの国民をつなぐ絆としての役割を、両陛下は果たしてこられた。

 国民は、両陛下のそうした地道な活動を受け入れ、支持し、感謝や共感、敬愛の念をもって応えた。こうして「日本国の象徴であり日本国民統合の象徴」という抽象的な憲法の文言は、具体的なイメージを形作っていったのである。現在の象徴天皇のありようは、この両陛下と国民との間の相互作用の結果と言えよう。

江川紹子/ジャーナリスト

江川紹子/ジャーナリスト

東京都出身。神奈川新聞社会部記者を経て、フリーランスに。著書に『魂の虜囚 オウム事件はなぜ起きたか』『人を助ける仕事』『勇気ってなんだろう』ほか。『「歴史認識」とは何か - 対立の構図を超えて』(著者・大沼保昭)では聞き手を務めている。クラシック音楽への造詣も深い。


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