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青木康洋「だれかに話したくなる、歴史の裏側」

「本能寺の変は満月の夜」…NHK『真田丸』は間違い?明智光秀、闇夜を狙って信長討ちか

文=青木康洋/歴史ライター

 大隈によれば、この頃の政府は財政がかなり逼迫していたという。当時は月給制に移行したばかりだったが、旧暦のままでは明治6年には閏月があるので、年に13回給料を支払わなければならなくなる。

 しかし、明治5年12月を2日で終わらせてしまえば、12月の給与の支払いをしなくて済む上に、新暦に移行させることで明治6年に来るはずだった閏月分の給料を払わなくてもいいことになる。官吏に支払う給料にも事欠いていた明治政府は、要するに給与の支払いをケチるために無理矢理な改暦を行ったのである。

なぜ本能寺の変は闇夜だったとわかるのか?

 さて、冒頭の話題に戻ろう。本能寺の変が起きた夜―天正10年6月1日の夜―が闇夜だったと断言できるのは、なぜなのか。

 旧暦は、月の運行が主軸に据えられているために日付と月の形が連動する。たとえ何月であっても、3日は三日月に、7日は半月に、そして15日は満月になる。1日と月の末日は新月だ。

 本能寺の変が起きた6月1日の晩も、もちろん新月、すなわち月は出ていなかった。当時は現代のような照明器具がなかったから、雨天だろうが曇天だろうが晴天だろうが、月がなければ漆黒の闇夜である。

「本能寺の変は満月の夜」…NHK『真田丸』は間違い?明智光秀、闇夜を狙って信長討ちかの画像3京都府京都市東山区にある「明智光秀首塚」

 ネオンサインが煌々と街を照らす現代社会に生きる私たちにはわかりにくいが、満月というのは相当に明るい。筆者はかつて電気の通じていないラオスの村で1週間ほど過ごした経験がある。満月の晩に、村人に借りた自転車でメコン川沿いのガタガタ道を疾走したが、月の光が周囲を照らしていたのでまったく危険を感じなかった。

 もし、光秀が満月の晩に挙兵していたら、信長は光秀軍の接近を事前に察知できたかもしれない。いや、逆に光秀は大軍の移動に容易な闇夜の晩を狙ってクーデターを起こした可能性もある。

 旧暦のカレンダーを横に置きながら歴史ドラマを見るのも、おもしろいかもしれない。
(文=青木康洋/歴史ライター)

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