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そして村上春樹を超越した『騎士団長殺し』が目の前に現れた。それだけで十分である。

文=深笛義也/ライター
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 これは、外交官の時に逮捕され東京拘置所に収容された、作家の佐藤優の体験談に酷似している。佐藤の選んだ語学が、古典ラテン語と古典ギリシア語であるという違いはあるが。現代で起こっていることを隅々まで見渡して、村上は『騎士団長殺し』というファンタジックな物語を書いたことが窺える。

 ノーベル賞への野心を持って村上は『騎士団長殺し』を書いたのではないかとも感じたが、終盤に進むにつれて、その思いは薄れてきた。むしろ村上は、ノーベル賞なんてことに惑わされず、自分にできる最高のものを提示すべく努めたにすぎない。

 創作の苦しみを「私」は独白する。

「どれだけ長くキャンパスの前に立って、その真っ白なスペースを睨んでいても、そこに描かれるべきもののアイデアがひとかけらも湧いてこなかった。どこから始めればいいのか、きっかけというものが掴めないのだ。私は言葉を失った小説家のように、楽器をなくした演奏家のように、その飾りのない真四角なスタジオの中でただ途方に暮れることになった」

 だが免色が「私」の人生に入り込んで、思いがけない出来事が起こり、やがて肖像画は完成する。その絵のことは、こう書かれている。

「それは私自身が描いたものでありながら、同時に私の論理や理解の範囲を超えたものになっていた。どうやって自分にそんなものが描けたのか、私にはもう思い出せなくなっていた。それは、じっと見ているうちに自分にひどく近いものになり、また自分からひどく遠いものになった。しかしそこに描かれているのは疑いの余地なく、正しい色と正しい形を持ったものだった」

 書き終えられた『騎士団長殺し』も、そういう存在なのかもしれない。

 村上がノーベル賞を取るかどうかは、やはりどうでもいいことだ。心を芯を震わせてくれる作品が目の前に現れた。それだけで十分である。
(文=深笛義也/ライター)

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