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なぜ「もうできない」を乗り越えられたのか? 旭化成のシステムを支える「プライド」の歴史

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なぜ「もうできない」を乗り越えられたのか? 旭化成のシステムを支える「プライド」の歴史の画像1※画像:『而立 決意と誇りのシステム統合プロジェクト』(AJS株式会社設立三十周年書籍編集委員会著、ダイヤモンド社刊)

■「システムが経営の足かせになっている」――社長の言葉に涙する技術者たち

 日本には、さまざまな分野に事業を展開して、日本経済を支えている企業がある。

 しかし、多くの事業を展開すれば、それに合わせて必要になるものもある。あらゆる情報を統括する「システム構築」は、欠くべかざるもののひとつだと言えるだろう。

 日本を代表する企業のひとつ「旭化成株式会社」は、時代とともに進むコンピューターインフラの潮流に乗り、1978年に旭化成の100%子会社として「旭化成情報システム株式会社」を設立し、システムの開発・保守運用を同社に担わせた。

 情報統括のためのシステムに関わる人間は、華々しく表舞台に出ることも、注目されることも少ない。そんな旭化成を影で支え続けているシステム事業に関わる人々の苦難と奮闘の軌跡を追った書籍がある。

 それが、『而立 決意と誇りのシステム統合プロジェクト』(AJS株式会社設立三十周年書籍編集委員会著、ダイヤモンド社刊)だ。

 本書では、旭化成株式会社の情報システム子会社として誕生したAJS株式会社の30年の軌跡、とりわけここ10年余りのビッグプロジェクトを物語の中核に据えながら、社員たちの知られざる奮闘を描いている。

 ◇

 本書は、冒頭からAJSにとって強い風当たりの最中から始まる。

「システムが経営の足かせになっている」――。

 2008年、当時の旭化成代表取締役社長、蛭田史郎氏が経営説明会の場で放った一言は、AJSの技術者に悔し涙を流させた。

 当時、旭化成は事業再編にあたって新たなシステム構築するプロジェクトを進めていた。技術者たちはそのためには最低でも1年は必要だと考えていた。だが、上層部にとって1年はあまりに長すぎる時間であり、社長の言葉の矛先は明らかにAJSに向けられたものだった。

 AJSの技術者は、そのプライドに賭け、「経営の足かせにならないシステム」を構築すべく動き出すのであった。

■「ぬるま湯」からの脱却と成長

 AJSは、2005年に旭化成グループから離れ、国内大手システムインテグレーター「TIS株式会社」の傘下となっている。

 このとき、AJS社内では、「親会社に売られた」「ノンコア事業としてグループから切り捨てられた」と感じていた社員たちが少なくなかったようだ。

 しかし、当時旭化成の社長だった蛭田氏は、AJSを切り捨てたつもりはなく、旭化成グループ内の「ぬるま湯ビジネス」ではなく、他の会社の仕事を請け負うことで切磋琢磨してもらいたいという気持ちがあったという。

 親会社と子会社という「関係」によって仕事をもらうのではなく、「技術力」で仕事を取れるようになる。これがAJSに課された目標であった。

 関連会社として巨大企業の庇護の下にいると、どうしても「財布は同じ」という感覚が出てくる。さらに、「同じ会社だから」と線引きが曖昧になり、事務手続きにも甘さが出る。AJSはそんな「ぬるま湯」体質が日常化していたのである。

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