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青木康洋「だれかに話したくなる、歴史の裏側」

森友学園の園児朗唱で話題沸騰の「教育勅語」の真実…GHQが執拗に危険視し禁止した理由

文=青木康洋/歴史ライター
森友学園の園児朗唱で話題沸騰の「教育勅語」の真実…GHQが執拗に危険視し禁止した理由の画像1大阪城公園にある「教育勅語之碑」

 大阪府大阪市の学校法人「森友学園」が運営する塚本幼稚園の教育方針が、世上を賑わせている。年端もいかぬ幼稚園児たちに「教育勅語」を朗唱させる様子に違和感を覚える人も少なからずいるようだ。

 インターネット上には「時代に逆行している」「戦前の思想教育を復活させるのか」といった否定的な意見もあれば、「内容が良いなら問題ない」とする肯定的な意見まで、賛否両論が飛び交っている。

 ところで、その教育勅語とは、そもそもなんなのだろうか? 今回、ニュースや記事に取り上げられたことで、多くの人は「そういえば、中学や高校の歴史の授業で習ったことがあるなぁ」と記憶が蘇ったのではないだろうか。「受験勉強で、必死に丸暗記した単語のひとつに、そんな言葉があったかもしれない」というくらいに。

戦後、GHQによって禁止された教育勅語

「教育勅語」の正確な呼称は「教育ニ関スル勅語」である。『広辞苑』(岩波書店)を開くと、「勅語」という項目にはこうある。

「1、天皇のことば、みことのり。2、明治憲法下で、天皇が大権に基づき、国務大臣の副署を要せず、親しく臣民に対して発表した意思表示」

 平たくいえば、「明治天皇が教育について語ったお言葉」という意味だ。教育勅語が発布されたのは、大日本帝国憲法が制定された翌年の明治23年(1890年)。以来、第二次世界大戦後に連合国軍最高司令官総司令部(GHQ)によって禁止されるまでの50年以上にわたり、日本の教育の基本理念とされていた。

 戦前の教科書「修身」に掲載されていたため、高齢の方のなかには今でも暗唱できる人がいる。やや長いが、その全文を以下に記してみよう。ちなみに、原文は旧仮名遣いでカタカナ表記だが、わかりやすいように漢字を現在の常用漢字に直すとともに現代仮名遣いでひらがなに置き換えてある。

「朕(ちん)惟(おも)うに我が皇祖皇宗国を肇(はじ)むること宏遠に、徳を樹(た)つること深厚なり。我が臣民よく忠によく孝に億兆心を一にして世々その美をなせるは、これ我が国体の精華にして教育の淵源(えんげん)また実にここに存す。爾(なんじ)臣民父母に孝に、兄弟に友に、夫婦相和し朋友相信じ、恭倹(きょうけん)己れを持し、博愛衆に及ぼし、学を修め、業を習い、もって智能を啓発し、徳器を成就し、進んで公益を広め、世務を開き、常に国憲を重んじ、国法に遵(したが)い、一旦緩急あれば義勇公に奉じ、もって天壌無窮(てんじょうむきゅう)の皇運を扶翼(ふよく)すべし。是(かく)のごときは独り朕が忠良の臣民たるのみならず、又もって爾祖先の遺風を顕彰するに足らん。この道は実に我が皇祖皇宗の遺訓にして、子孫臣民のともに遵守すべき所、これを古今に通じて謬(あやま)らず。これを中外に施して悖(もと)らず、朕爾臣民とともに拳々服膺(けんけんふくよう)して、みなその徳を一にせんことを庶幾(こいねが)う」

 今年で85歳を迎える筆者の父親は、国民学校という当時の小学校で教育勅語を暗唱させられた記憶があるという。もちろん、意味などわからないままの丸暗記だったようで、教室の前に立って発表させられることもあったらしい。

 また、戦前の各学校には奉安殿という祠のような建物があり、そこには天皇皇后両陛下の御真影(写真)と巻物になった教育勅語が納められていたことが多かったようだ。戦時中に空襲があると、校長は何をおいてもそれを持ち出さなければならなかったという話もある。また、父親の話によれば、奉安殿の前で遊んでいると教師に怒られるので、自然と子供たちが寄り付かない場所になっていたそうだ。

戦後は軽視された教育勅語、歌舞伎の小道具にも

 そんなふうに戦前までは神聖視されていた教育勅語だったが、戦後になると、一転して旧時代の遺物扱いをされた。戦後の日本を占領したGHQは、真っ先に教育勅語の否定と奉安殿の破却を命じたのだ。そんな時代の興味深いエピソードをひとつ紹介しよう。

 終戦直後のことである。歌舞伎役者の八代目・坂東三津五郎が京都で『勧進帳』を演じることになった。『勧進帳』は、弁慶が関守の富樫の前で偽の「勧進帳」を滔々と読み上げる場面が最大の見せ場だ。

 しかし、劇場には肝心の小道具である巻物がなかった。絢爛豪華な表装の巻物がなければ『勧進帳』はかたちにならない。だが、なにしろ戦後の物不足の時代である。そんな豪華な巻物など、どこにもない……と窮地に陥ったところで妙案が閃いた。

「そうだ、学校には必ず教育勅語があるはずだ。あれなら立派な表装だから借りてこよう」

 三津五郎自らが京都の府立一中を訪ねると、「どうせ焼いてしまうので、持っていってください」と、校長はあっさり貸してくれた。そして、公演では借りた教育勅語を使って、首尾よく『勧進帳』を演じることができたという。

 国破れて教育勅語も歌舞伎の小道具になったというこの逸話は、価値観が時代によって変遷することを教えてくれている。戦後70年以上を経て、教育勅語の価値観が復活することはあるのだろうか。
(文=青木康洋/歴史ライター)

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