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青木康洋「だれかに話したくなる、歴史の裏側」

森友学園の園児朗唱で話題沸騰の「教育勅語」の真実…GHQが執拗に危険視し禁止した理由

文=青木康洋/歴史ライター
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 また、戦前の各学校には奉安殿という祠のような建物があり、そこには天皇皇后両陛下の御真影(写真)と巻物になった教育勅語が納められていたことが多かったようだ。戦時中に空襲があると、校長は何をおいてもそれを持ち出さなければならなかったという話もある。また、父親の話によれば、奉安殿の前で遊んでいると教師に怒られるので、自然と子供たちが寄り付かない場所になっていたそうだ。

戦後は軽視された教育勅語、歌舞伎の小道具にも

 そんなふうに戦前までは神聖視されていた教育勅語だったが、戦後になると、一転して旧時代の遺物扱いをされた。戦後の日本を占領したGHQは、真っ先に教育勅語の否定と奉安殿の破却を命じたのだ。そんな時代の興味深いエピソードをひとつ紹介しよう。

 終戦直後のことである。歌舞伎役者の八代目・坂東三津五郎が京都で『勧進帳』を演じることになった。『勧進帳』は、弁慶が関守の富樫の前で偽の「勧進帳」を滔々と読み上げる場面が最大の見せ場だ。

 しかし、劇場には肝心の小道具である巻物がなかった。絢爛豪華な表装の巻物がなければ『勧進帳』はかたちにならない。だが、なにしろ戦後の物不足の時代である。そんな豪華な巻物など、どこにもない……と窮地に陥ったところで妙案が閃いた。

「そうだ、学校には必ず教育勅語があるはずだ。あれなら立派な表装だから借りてこよう」

 三津五郎自らが京都の府立一中を訪ねると、「どうせ焼いてしまうので、持っていってください」と、校長はあっさり貸してくれた。そして、公演では借りた教育勅語を使って、首尾よく『勧進帳』を演じることができたという。

 国破れて教育勅語も歌舞伎の小道具になったというこの逸話は、価値観が時代によって変遷することを教えてくれている。戦後70年以上を経て、教育勅語の価値観が復活することはあるのだろうか。
(文=青木康洋/歴史ライター)

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