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フジ『嫌われる勇気』に中止要請のアドラー学会へ、専門家が疑義 「あんな抗議しなくていい」

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 そもそも、共同体感覚にはさまざまな要因があります。どうしたら世の中への貢献を果たすことができるのかという“貢献感”もそうですし、自分をどれだけ大事に思えているかという“自己受容感”もそうです。そのような視点で見れば、ドラマの主人公はコミュニケーション能力に個性的なところは多少ありますが、しっかりと仕事はこなしており、ぶっきらぼうなようで他者に配慮した行動や協力的な行動もしており、見方によってはむしろ共同体感覚は高いとさえいえるのではないでしょうか。

 結局、共同体感覚というものが非常に複雑で、いろいろな概念が重なっている以上、ひとりのキャラクターのある側面だけを見て『ドラマの放映を中止しろ』といった判断はできないはずです。あの主人公は共同体感覚が足りないというより、一見そう見えるが意外に複雑なキャラクターとしてデフォルメされているのだと、大らかな立場で捉えるべきだと思います」(同)

 また、ドラマ内では主人公のことを“ナチュラルボーン(=生まれつきの)アドラー”だと称している場面があり、そこが同学会は気に入らなかったのではないかと深沢氏は推察する。

「アドラー心理学には、教育論としての側面があります。社会のなかで経験を積んだり、子育てをしたりしながら共同体感覚を獲得し、よりよい人生を生きようとする運動でもありますから、“生まれつきのアドラー”という表現は、確かに形容矛盾なのかもしれません。

 そのあたりをドラマの製作側がどのように解釈しているのかはわかりませんし、私にとっても、あえてそういうキャラクター造形がなされている点は不思議でした。ドラマの展開上、なんらかの意図があるのかもしれません。字面どおりの意味なのか、もしくは別のメタファー(隠喩)なのか……。いずれにせよ、例の抗議文が出たときは、ドラマもまだ前半でしたから、その段階で“ナチュラルボーンアドラー”という言葉に強く反応する必要はなかったように感じています」(同)

原作者がドラマのアドバイザー


 抗議をした日本アドラー心理学会にも取材を申し込んだが、「これは学術上の問題であり、当該番組にアドバイザーとして関与しておられる岸見一郎氏と、学術的な場で討論することについて、すでに合意しております」との理由から取材は断られた。岸見氏にも取材を申し込んだが、同様の回答だった。

 重要なのは、原案の著者である岸見氏がアドバイザーとしてドラマ製作に携わっていたという点である。つまり、岸見氏と同学会とで、見解の相違が生じていた可能性がある。

「私は岸見先生と直接の関係はないものの、とても厳密な本の書き方をされる人だという印象ですので、無下に批判はできないと考えています。本や論文とドラマの表現スタイルは違って当然ですので、ドラマをめぐる経過は見守っていきたいですし、昨今のアドラー心理学ブームを大切にしたいという気持ちもあります」

 アドラー心理学が人気となったのは、人々にとって実用的だからだと思うのです。“勇気づけ”という考え方があり、職場や家庭環境の調整など、良好な人間関係を築いていくにあたってアドラー心理学は大変役に立ちます。今回の問題が、あまり悪い流れになってほしくないというのが本音です」(同)

 ドラマは残り話数が少なくなってきているが、このまま放送が無事に終わるのかどうか、好奇の目で見てしまう視聴者もいるだろう。その半面、アドラー心理学の本質とは何か、一般人から識者までを巻き込んで問題提起した点においては意義深い作品だといえるのかもしれない。
(文=森井隆二郎/A4studio)

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