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『カルテット』ラストシーンの謎…人生は価値なくても何度も間違っても「楽しければいい」

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煙の分際

 コンサート本番、途中で退席するお客も続出する一方、立ち上がって拍手するお客も続出。手紙の主と思しき人物は、微動だにせずに演奏に聞き入り4人を見つめる。果たしてコンサートは成功だったのか、失敗だったのか。どちらともいえない、というのが正しいのかもしれない。しかし、確実にいえるのは、すずめが語ったように「届く人には、届いた」ということだろう。

 なぜ価値も意味も必要もない“煙のくせに”、音楽を続けるのか? そんな手紙への答えは、明確には示されない。しかし、ドラマのセリフのなかに、ヒントは散りばめられている。

「夢見て損することはなかった」

「誰が聞いてても、聞いてなくても、私たちが楽しければ」

「晒し者でも、好奇の目でも。そんなの私、なんでもありません」

「誰かに届けばいいんじゃないですか?」

 ラストシーン。地方の花火大会での演奏依頼を受けたカルテットは、真紀の運転するバンに乗って現地に向かうが、途中でエンストしてしまい、スマートフォンで地図を見る別府の案内に従って、4人は海岸を歩く。別府は何度も方向を間違え、右往左往する。そんな状況を面白がり、すずめは笑い、物語は終わる。

“煙の分際”である4人が音楽を続けることに、価値や意味や将来はないのかもしれないし、あるのかもしれない。でも、端から見れば“煙の分際”にしかみえない4人は、“煙の分際”であることを心から楽しんでいるのかもしれない。

「私たちが楽しければ」「誰かに届けばいい」。少なくても「損することは一つもない」。

 そして4人はこれからも、何度も方向を間違えながら、エンストしながら、人生を楽しんでいくのだろう。真紀の運転するバンに乗って――。
(文=富田憲明/コラムニスト)

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