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疑惑の安倍昭恵首相夫人の実家、森永製菓と森永乳業の醜い確執…経営統合に失敗

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 いち早く経営統合した明治グループと、なかなか経営統合できなかった森永グループ。製菓・乳業で独走する明治HDを「大森永連合」が追撃する構図が、もろくも1カ月余で崩れてしまった。

安倍晋三首相の昭恵夫人は森永一族


 森永製菓と森永乳業の統合話が出て、そして壊れたのは今回が初めてではない。08年12月にも、森永製菓と森永乳業の統合交渉が報じられた。明治製菓と明治乳業の統合が発表された直後で、いよいよ「大森永」の誕生か、と受け取られた。しかし、統合交渉は進展せず、両社の根深い確執が露呈した。そして今回、あらためてその確執の解消が困難であることが明らかになったといえる。

 両社の歴史を振り返ってみる。

 1899年8月、洋菓子の製法を身につけた森永太一郎氏が米国から帰国し、東京・赤坂溜池にわずか2坪の菓子工房を建て、森永西洋菓子製造所の看板を掲げた。

 創業から6年後の1905年、大きな転機を迎えた。元駐日米公使アルフレッド・バック氏の妻に相談して、羽をはばたかせ大空を翔るエンゼルを商標にした。エンゼルマークは好評で、太一郎氏は「これでいこう」と決めた。

 同年、10歳年下の松崎半三郎氏を支配人に招いた。このとき松崎氏は「あなたは製造に専念し、私は営業に専念すること」「個人商店では限界があるので、近い将来、株式会社に改めること」という条件を出した。約束に従い、1910年に株式会社森永商店を設立。2年後に森永製菓に改称した。「製造の太一郎」と「販売の松崎」のコンビにより、森永のお菓子はエンゼルの翼に乗って大いに売れた。「森永翁と私とは、表と裏、形と影の関係であった」――。松崎氏は晩年、2人の関係をこう語っている。

 両家が縁戚関係になるのは孫の代だ。太一郎氏の孫、恵美子氏と松崎氏の孫・昭雄氏が結婚した。草創期のパートナーであった森永・松崎両家は血縁で結ばれた。昭雄・恵美子夫妻の長女、昭恵氏は、安倍晋三首相の夫人になる。奔放な行動で知られる昭恵氏は、森友学園が新設する予定だった「瑞穂の國記念小學院」の名誉校長に就いていたことが明るみに出て、いまやスキャンダルの渦中の人となった。ファーストレディーは、実は森永・松崎両家の固い絆の結晶なのである。

乳業のドンの退任で、統合の動きが表面化


 太一郎氏の孫、森永剛太氏は97年、昭雄氏の後を継いで森永製菓の第6代社長に就いた。2006年からは会長となっている。創業家直系の3代目の剛太氏は「大森永」を実現するための統合への意欲を隠さなかった。森永製菓は森永乳業の10.5%の株式を保有する親会社だが、両社は微妙な関係にあった。

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