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長銀破綻とバブル崩壊、今明かされる真相…「失われた10年」を呼んだ一人のリゾート王

文=有森隆/ジャーナリスト
長銀破綻とバブル崩壊、今明かされる真相…「失われた10年」を呼んだ一人のリゾート王の画像1旧日本長期信用銀行本店(「Wikipedia」より)

【訃報】旧・日本長期信用銀行(現・新生銀行)頭取を務めた大野木克信(おおのぎ・かつのぶ)氏が5月10日、死去した。80歳だった。

 大野木氏は東京大学農学部を出た異色の経歴だ。1959年に日本長期信用銀行に入り、国際部門や企画部門を歩いた。95年、イ・アイ・イ・インターナショナル向け融資の焦げ付きで引責辞任した堀江鐵彌氏の後任として頭取に就任した。

 大野木氏はバブル期に抱えた巨額の不良債権の処理に取り組んだ。スイス銀行(当時)と業務資本提携して苦境を脱しようとしたが、スイス銀行が突然、業務提携を反古にし、市場で長銀株を大量に空売りした。これをきっかけに200円(額面50円)前後だった長銀株はあっという間に50円を割り込み、経営危機が表面化した。大野木氏は98年9月に退任。同年10月に長銀は経営が破綻し、一時国有化された。

 頭取退任後の99年に、98年3月期の粉飾決算に絡み、証券取引法違反(有価証券報告書虚偽記載)などの罪で、元副頭取2人とともに起訴された。一審、二審は執行猶予付きの有罪判決だったが、2008年の最高裁判所判決で逆転無罪となった。

 最高裁で無罪とされた大野木氏ら3人は、いずれも事後処理にあたった経営者だ。後述する杉浦敏介氏の後処理という損な役回りを演じた。それでも大野木氏が、不良債権飛ばしや粉飾決算で墓穴を掘った張本人であることに変わりはない。

 いずれにしても、彼らを逮捕・起訴した国策捜査に、そもそも無理があった。捜査当局は、旧経営陣が行った乱脈融資を特別背任罪で立件するつもりだったが、バブル期の無謀な融資と、捜査に着手した時期に時間的な隔たりが大きく、特別背任罪の公訴時効(当時5年)の壁が立ちはだかった。

 長銀の破綻処理に巨額の税金が投入されたため、「刑事訴追できません」では世間は納得しない。そこで、粉飾決算で立件したのだ。大野木氏ら3人はスケープゴートにされたわけだ。逆転無罪をかち取った大野木氏は11年から14年まで、霊園開発を手がけるニチリョク(ジャスダック上場)の社外取締役を務めた。

長銀破綻の最大戦犯は杉浦敏介

 それでは、長銀破綻の最大戦犯は誰なのか――。

 長銀は1952年、重化学工業の設備投資といった長期の資金需要をまかなうための銀行として設立された。日本興業銀行(現・みずほ銀行)と日本債券信用銀行(現・あおぞら銀行)と並び、金融債の発行による資金調達が認められており、預金を集めて短期資金を供給する都市銀行とは、明確に棲み分けが図られていた。

 ところが、80年代になると重厚長大産業の資金調達が間接金融(=銀行)から直接金融(=証券市場)にシフトした。興長銀の存在意義が薄れてきた。長期の融資を担当する長銀は、ライバルの興銀に追いつき追い越すために新規分野を血眼になって探した。時はバブルの全盛期で、ゴルフ場やレジャー施設への融資はうってつけの大型プロジェクトに映った。

 その時「環太平洋レジャー基地構想」を掲げて、イ・アイ・イ・インターナショナルの高橋治則氏が登場する。イ・アイ・イへの融資にお墨付きを与えたのは、長銀のドン・杉浦敏介氏である。

 杉浦氏は東京帝国大学法学部を卒業し、日本勧業銀行(現・みずほ銀行)に入行。52年の長銀発足時、浜口巌根氏に宮崎一雄氏と共に引き抜かれ、長銀に移籍した。浜口氏の次の頭取が宮崎氏で、その次が杉浦氏だ。

 頭取・会長・相談役・最高顧問として、長銀のトップに君臨し続けた杉浦氏は、子飼いを役員に引き上げ、長銀を事実上の“杉浦商店”にしてしまった。95年に頭取を退任した堀江鐵彌氏は杉浦氏の縁戚だ。その後任の大野木氏も、早くから杉浦氏がプリンスとして可愛がっていた。92年に相談役を退くまで取締役を34年間務めた。頭取在任期間は7年だが、78年に会長になってからも人事権を放さず、院政を敷いた。杉浦氏は特注のベンツに乗って毎日、本店に姿を見せたという逸話が残っている。

 高橋治則氏は幼稚舎から通う“慶応ボーイ”で、慶應義塾大学法学部卒。母方の縁戚者が、ライオン宰相の浜口雄幸氏で、その次男が長銀の頭取の浜口巌根氏という関係だった。浜口氏と親戚というブランドが、長銀では大いにモノを言った。

 長銀のドンのお墨付きを得た高橋氏は86年以降、自家用ジェット機を使い、グアム、サイパンから、豪州、フィジー、香港、米国、英国などを飛び回って高級ホテルや超高層ビルを買い漁り、「環太平洋のリゾート王」と評された。

 長銀をバックに高橋氏が投資した不動産案件は、最盛期に2兆円といわれた。高橋氏は巨大マネーを蕩尽したのである。長銀の融資額はピーク時の92年にイ・アイ・イ・グループ全体で6000億円超に上り、これが長銀破綻の最大の原因となった。リゾート王が一転して、「長銀を食い潰した男」と呼ばれることになる。

 イ・アイ・イの高橋氏に大手信託銀行や生命保険、ノンバンクが競うように、気前よく巨大マネーを注ぎ込んだ。その意味でも高橋氏は「失われた10年」の引き金を引いた男であった。

 長銀破綻の最大戦犯である杉浦氏は、時効の壁によって立件を免れ、06年1月に94歳で亡くなっている。生前、「長銀が破綻したのは、後輩の経営者たちがダメだったからだ」と語ったといわれている。これでは、杉浦氏の尻拭いをしたがゆえに刑事被告人となった大野木氏らは浮かばれない。

高橋治則と田中角栄の類似点

「高橋氏は第二の田中角栄だった」との評があり、今もって、こう信じている向きも多い。

 田中角栄氏は首相在任中、日本のエネルギー確保のため、独自の資源外交を展開した。ロッキード事件によって田中氏が失脚したのは、石油メジャーと敵対した外交姿勢が米国の逆鱗に触れたためだという説がある。

 高橋氏が失脚したのも、それと同じ構図だ。ベトナムの石油開発に進出して、米メジャーに刺されたというのだ。ベトナム戦争の後遺症で、米国企業はベトナムには、直接、進出できなかった時代のこと。この隙をついて高橋氏はベトナムの石油利権に手を伸ばそうとした。高橋氏はバブルの代表選手として葬り去られたということになる。

 人の縁というのは不思議なものだ。

 高橋氏はホーチミン市沖で油田開発の掘削権と鉱区を手に入れた。彼はインタビューに答えて「究極の目標は資源開発だ」と本音を語ったことがある。高橋氏の事業のパートナーはアラビア石油(当時)だった。アラビア石油の社長は元通産事務次官の小長啓一氏で、田中氏の首相秘書官時代に『日本列島改造論』の原稿を書いたことで知られている。

 そういえば長銀も油田開発への融資には、ことのほか熱心だった。

大野木氏の功罪

 長銀系の日本リースの倒産が確定的となり、自民党の総裁選の投票日である「1998年7月14日に(日本リースが)倒産する」という噂が永田町を駆け巡った。

 政府・自民党は時間稼ぎの手段として、住友信託銀行による救済合併を画策した。98年6月12日、長銀頭取だった大野木氏が住友信託銀行社長の高橋温氏に電話をかけたのが「強制合併」の幕明けだった。信用不安の渦の中で大野木氏は、関係が深かった第一勧業銀行に合併を申し入れたが、「検討の余地もない」と拒絶され周章狼狽した。横浜銀行、さらには大和銀行、そしてダメ元の気持ちで住友信託銀行の順に合併話を持ちかけたという。「横浜、大和もけんもほろろ」(長銀の当時の役員)。第一勧銀が拒絶した合併話に乗ってくるはずがなかった。

 住友信託銀行を最後の命綱にしたのは、「この10年前に住友信託側から合併の申し入れがあったからだ。当時は、長銀のほうが断った」(有力金融筋)。この頃は、長銀が住友信託を見下していたのである。

 いずれの合併説も「擬制の合併」である。複数の自民党筋が長銀を救うためにリークしたヨタ話を、全国紙が次々と報じた。最初は「長銀、日本債券信用銀行との合併を検討」と共同通信が報道したのがきっかけだった。政治家の不用意発言が、長銀の危機に拍車をかけた。

 結局、住友信託銀行に救済合併してもらうシナリオも潰れたが、これは当時の自民党幹事長だった加藤紘一氏の青写真だった。

 9月27日、日本リースは会社更生法を申請した。負債総額は2兆1800億円という超弩級の倒産となった。長銀は10月12日の深夜、取締役会を開き、特別公的管理(一時、国有化)を申請することを決めた。長銀は13日正午、民間銀行として最後の取締役会を開き、国有化への移行を承認した。これを決めたのは大野木氏の次の頭取、鈴木恒男氏だった。

 長銀は政局の波間を漂い、結局、一時国有化された。それまでの金融界の常識は「大きな銀行は潰せない」だったが、この常識が初めて通用しなかった事例が長銀だった。

 小渕恵三内閣は後々、「大手都市銀行を守るための金融システムの確立を優先させ、長銀を見捨てた」と批判されたが、この見方は大きくは的を外していない。

 金融当局に「長銀処理はあれで良かったのか」との思いが長くあったことを記して、この稿の締めくくりとする。
(文=有森隆/ジャーナリスト)

有森隆/ジャーナリスト

有森隆/ジャーナリスト

早稲田大学文学部卒。30年間全国紙で経済記者を務めた。経済・産業界での豊富な人脈を生かし、経済事件などをテーマに精力的な取材・執筆活動を続けている。著書は「企業舎弟闇の抗争」(講談社+α文庫)、「ネットバブル」「日本企業モラルハザード史」(以上、文春新書)、「住友銀行暗黒史」「日産独裁経営と権力抗争の末路」(以上、さくら舎)、「プロ経営者の時代」(千倉書房)など多数。

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