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長銀破綻とバブル崩壊、今明かされる真相…「失われた10年」を呼んだ一人のリゾート王

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大野木氏の功罪

 長銀系の日本リースの倒産が確定的となり、自民党の総裁選の投票日である「1998年7月14日に(日本リースが)倒産する」という噂が永田町を駆け巡った。

 政府・自民党は時間稼ぎの手段として、住友信託銀行による救済合併を画策した。98年6月12日、長銀頭取だった大野木氏が住友信託銀行社長の高橋温氏に電話をかけたのが「強制合併」の幕明けだった。信用不安の渦の中で大野木氏は、関係が深かった第一勧業銀行に合併を申し入れたが、「検討の余地もない」と拒絶され周章狼狽した。横浜銀行、さらには大和銀行、そしてダメ元の気持ちで住友信託銀行の順に合併話を持ちかけたという。「横浜、大和もけんもほろろ」(長銀の当時の役員)。第一勧銀が拒絶した合併話に乗ってくるはずがなかった。

 住友信託銀行を最後の命綱にしたのは、「この10年前に住友信託側から合併の申し入れがあったからだ。当時は、長銀のほうが断った」(有力金融筋)。この頃は、長銀が住友信託を見下していたのである。

 いずれの合併説も「擬制の合併」である。複数の自民党筋が長銀を救うためにリークしたヨタ話を、全国紙が次々と報じた。最初は「長銀、日本債券信用銀行との合併を検討」と共同通信が報道したのがきっかけだった。政治家の不用意発言が、長銀の危機に拍車をかけた。

 結局、住友信託銀行に救済合併してもらうシナリオも潰れたが、これは当時の自民党幹事長だった加藤紘一氏の青写真だった。

 9月27日、日本リースは会社更生法を申請した。負債総額は2兆1800億円という超弩級の倒産となった。長銀は10月12日の深夜、取締役会を開き、特別公的管理(一時、国有化)を申請することを決めた。長銀は13日正午、民間銀行として最後の取締役会を開き、国有化への移行を承認した。これを決めたのは大野木氏の次の頭取、鈴木恒男氏だった。

 長銀は政局の波間を漂い、結局、一時国有化された。それまでの金融界の常識は「大きな銀行は潰せない」だったが、この常識が初めて通用しなかった事例が長銀だった。

 小渕恵三内閣は後々、「大手都市銀行を守るための金融システムの確立を優先させ、長銀を見捨てた」と批判されたが、この見方は大きくは的を外していない。

 金融当局に「長銀処理はあれで良かったのか」との思いが長くあったことを記して、この稿の締めくくりとする。
(文=有森隆/ジャーナリスト)

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