
「タクシー業界の風雲児」と呼ばれたエムケイ創業者の青木定雄(本名・兪奉植=ユ・ボンシク)氏が6月8日、肺炎のため京都市の病院で死去した。88歳だった。葬儀・告別式は近親者で行った。喪主は長男で現エムケイ社長の信明氏。
青木氏は在日1世の立志伝中の人物である。1928年、朝鮮半島の南に位置する慶尚南道(キョンサンナムド)で、6人兄弟の3男に生まれた。
43年に15歳で日本に渡った。立命館大学法学部に入学したが、授業料を払えなくなり中退。56年に、ひょんなことからガソリンスタンドの経営を引き継いだ。60年、知人に勧められてミナミタクシーを設立したことが、タクシー人生の始まりとなった。63年に桂タクシーを買収。77年に両社の合併で、両社の頭文字をとって社名をエムケイとした。
60年にタクシー会社を始めた時は、車両10台で運転手は24人だった。
MKグループの中核会社であるエムケイのホームページによると、2016年3月末時点で、タクシー807台、ハイヤー84台の合計891台、従業員は2096人。売上高は152億9900万円。MKタクシーは、東京、大阪、名古屋、神戸、福岡で走っている。
この間、MKタクシーは、運輸省や同業者と熾烈な戦いを繰り広げた。青木氏は「同一地域、同一賃金」の料金設定など、規制に守られてきたタクシー業界の常識と秩序を揺るがす挑戦を次々とやってのけた。タクシー業界の規制緩和の先頭に立ち、接客の重要性を広く認知させた。
76年に、運転手が「ありがとうございます」「お忘れ物ありませんか」など、4つの挨拶をきちんと言わなかったら、料金を受け取らないサービスを打ち出した。81年にはタクシー運賃の値上げ反対運動を起こし、翌年、運賃の値下げを申請。却下されると陸運局を相手取って大阪地方裁判所で争い、85年に全面勝訴の判決を得た。その後、89年に運輸省と和解。91年、天皇皇后両陛下に随伴する国務大臣の送迎車に選ばれた。93年には10%の運賃値下げを断行している。
低価格タクシーの道を開いた青木氏は、「規制緩和の旗手」「タクシー業界の風雲児」と呼ばれた。この頃が、青木氏が最も輝いていた時期だったといえるだろう。