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東芝と日本郵政の巨額減損の「戦犯」、西室泰三の飽くなき権力欲

文=有森隆/ジャーナリスト
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 親会社(日本郵政)の上場だけでは、予定している復興財源を確保できないとみて、3社同時上場を進めた。政府主導の上場イベントに失敗は許されないため、万全を期した策をとったといえる。

 3社の同時上場に際して証券業界では、もうひとつの隠された狙いを指摘する声があった。それは、「外資にゆうちょ銀行とかんぽ生命の門戸を開く」というものだ。

 その証拠に西室氏は、かんぽ生命と米アメリカンファミリー生命保険(アフラック)との業務提携を推進した。日本郵政グループの元役員は、「米国は、儲からない郵便事業には、そもそも興味がなかった」と明かす。

 米国の大手生保は、いわば“狩猟民族”だ。一方、かんぽ生命は“農耕民族”。「このままいったら外資に食われてしまう」(同)と危惧する声も出ていた。

 西室氏は25歳の時に「余命5年」と宣告された。脊椎のまわりにキスト(嚢腫)が発生する奇病で、腰から足まで電気が走るような激痛が走り、足を引きずるようになった。31歳の時、米国で8時間に及ぶ手術で嚢腫を取り除いたが、下肢に不自由さが残った。

 西室氏は重電を担当したことがない。東芝では、重電部門が社長の登竜門とされている。1987年の東芝機械のココム(対共産圏輸出統制委員会)違反事件で、佐波正一会長と渡里杉一郎社長が同時に辞任した。渡里氏が1年余で社長を辞めていなければ西室氏が社長になる目はなかった。佐波氏と渡里氏の意思疎通がうまくいっていなかったことが、トップ2人の同時辞任につながったといわれている。

 その渡里氏は今年4月、92歳で没した。社長辞任後、経営に口を出すことは一切なかった。西室氏とはまったく別の道を生きた経営者だった。

東芝の悲劇を招いた西室氏

 東芝の悲劇は、一相談役にすぎない西室氏が“東芝の闇将軍”として君臨し、「西室町体制」と呼ばれる異常事態を招いたことだ。西室氏は子飼いの室町正志氏を会長に指名し、歴代3社長が引責辞任したため、室町氏が社長を兼務することになった時から暴走した。日本郵政グループの株式公開という、重大な経営課題を抱えていたにもかかわらず、「週3回は東芝に出社していた」(東芝幹部)という。

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