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池内ひろ美「男と女の問題を斬る」

不倫疑惑の今井絵理子議員、「一線を越えていた」可能性…本人にジャッジの資格なし

文=池内ひろ美/家族問題評論家、八洲学園大学教授
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「一線を越えた」の判断基準

 ところが、不倫の場合には「一線を越えた」の意味が、恋愛とは異なります。ダウンタウンの松本人志さんが、「一線を越えてないと言うけど、東海道は越えた」とナイスなたとえをなさいましたが、おっしゃる通り、手つなぎ昼寝で東海道を越えていれば、客観的には「一線を越えている」と見えます。

 恋愛における「一線を越えた」は、相手との関係性において使う言葉であり、主観的に感じ、自ら考えるものですが、不倫においての「一線を越える」は、客観的な判断にゆだねられるものであり、不倫している本人がその言葉を使うのはよろしくありません。不倫において一線を越えたかどうかは、大きくいえば裁判官(裁判所)が判断するものです。

 たとえば、既婚男女がホテルや自室といった密室で一晩を過ごす。その間、他の人の出入りはない。こういった場合、昔は「一晩中トランプをしていた」と言い逃れする人もあり、今は「2人で勉強していた」という人もありますが、裁判所の判断では「男女が密室に2人きりでいたらそれは不貞行為があったとみなす」というものであり、一晩といわず、「2人きりで15分間」密室にいたことによって不貞とされ、慰謝料支払い命令が下された判例もあります。

 余談ですが、入室から退室まで15分間で性行為ありと判断した裁判官は、普段どれほど簡易なセックスをしているのか、あるいは急がなければならない事情があるのだろうかと、友人の弁護士たちとこの判例を読みながら思わず笑ってしまいました。

 いずれにせよ、不倫の場合に「一線を越えているか越えていないか」は、不倫当事者が決めるものではなく、もっと客観的な判断が求められるものです。マスコミのリポーターが今井議員だけでなく、女優の斉藤由貴さんに向けて「一線を越えてはいないんですか?」とマイクを向けているのを見ると、取材対象者をまるで罪人のように仕立て上げ、まるで裁判官になったかのように、リポーターが取材対象者を裁きたがっているようにもみえます。

 人が人を裁いてはいけません。この場合、裁判官でなくとも裁くことができる権利を持っているのは、不倫した人の配偶者です。つまり、今井議員と不倫したとされる橋本健神戸市議の妻は、彼らが「一線を越えている」かどうか判断しジャッジを下すことができます。そのジャッジが婚費(生活費)の増額となるか、離婚となるか、今井議員への損害賠償請求となるかは彼女の判断に委ねられます。

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