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米軍が決壊させた日本の生命線「天皇の風呂桶」の真実…日本人を襲った食料断絶の危機

文=井戸恵午/ライター
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 この頃の日本は、本土において人口を賄うに足る十分な食料を自給することができず、多くを海外領土の朝鮮や台湾に依存していた。その食料輸送までもが途絶するとなると、もう戦争どころの騒ぎではなくなる。

対馬海峡から米軍艦が侵入、“天皇の風呂桶”決壊

 興味深い話として、南方資源の輸送が完全に遮断された45年春、米軍の沖縄上陸以後に塩不足が懸念されたことがある。

 当時、日本の製塩方法は海水を釜で24時間炊き続けるという方法だったため、燃料がなければ塩をつくることができなかった。当時の政府の試算では、同年秋には家畜用、翌年には人用の塩の配給ができなくなると予測された。また、国内の食料生産も生産人口が徴兵されたことで停滞し、大凶作が予想されており、大陸との輸送路は文字通り「生命線」といえた。

 そこに襲いかかったのが、米軍潜水艦隊である。45年6月、日本軍に衝撃が走った。

「敵潜水艦、日本海に出現、佐渡沖にて輸送船撃沈さる」

 最新式のソナーを装備した米軍潜水艦が対馬海峡より侵入し、日本海での通商破壊をもくろむ「バーニー作戦」を発動させたのだ。

 すでに制空権を喪失して地方都市も空襲を受けるようになっていた日本は、敵の航空攻撃を警戒して船団を組んでいたのが功を奏し、「敵出現」の情報はすぐに海上護衛総司令部に入った。

 司令部の動きは素早く、ただちに増援部隊を派遣して周辺海域での掃討作戦を始めた。また、日本海に“退避”させていた自軍の潜水艦を瀬戸内海に呼び戻す措置を取った。

 この頃、日本近海の制海権は完全に米軍が掌握しており、さらに航空機からの機雷投下によって、太平洋はもちろん瀬戸内海すらも安全ではなくなっていた。そのため、海軍の本拠地である呉を擁する瀬戸内海から安全な日本海へ、艦艇を一部退避させていたのである。

 血眼になって米軍潜水艦を追う日本海軍と、各地の航路を襲いながら宗谷海峡に向かって北上する米軍潜水艦。その軍配は、米軍に上がる。潜水艦9隻で構成される米軍潜水艦隊は、1隻を喪失したのみで逃げおおせたのだ。日本の損失は潜水艦1、特設敷設艦1、商船・輸送船26隻。何より、それまで安全であった日本海でも船団護衛の必要が生じてしまったという事実が一番の痛事であった。

 ここに、「天皇の風呂桶」はついに決壊したのである。

日本国民の命運を賭した「日号作戦」が発動

 こうした状況の下、政府は日本海の輸送路が途絶しないうちに、ありったけの船を動員して食料の緊急輸送作戦を行った。「日号作戦」と呼ばれるその作戦は、文字通り日本国民の命運を賭した作戦であった。

 海上護衛総司令部は、船団護衛の準備に汲々としながらも、ある悩みが頭をよぎっていた。燃料事情である。米軍の沖縄上陸以来、南方との輸送路は完全に遮断されて燃料事情は極限まで悪化しており、迎撃機すら、本土決戦のための燃料を節約すべく出動回数を減らすありさまであった。

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