
安倍政権の支持率が大きく低下し、年内の解散総選挙の可能性が報道されています。
この大きな要因はやはり、森友学園や加計学園をめぐる疑惑でしょう。国民は報道の影響を強く受けますから、これらのニュースが連日流されることによって、安倍政権への風当たりが強くなったと考えられます。
もちろん、こうしたスキャンダルはないほうが望ましい。政治家には清廉潔白で道徳的にも立派な人であってほしいと願うのは当然です。しかし、これらは多数ある政治的案件のなかでも、ゴミのように小さな話にすぎません。安倍首相夫人から森友学園への寄付金は、せいぜい100万円。加計学園の獣医学部新設も、膨大にある教育テーマのなかのひとつであり、これまた本当に小さなこと。それを天下国家と同じレベルに拡大して報道し、こうしたことに国会審議の時間が奪われ、政治家の労力が費やされています。
今の日本には、外交、安全保障、社会保障、農業改革、教育改革、資源開発、果ては待機児童問題など、課題は山積みです。にもかかわらず、このような些事に振り回されて仮に政権が交代するとしたら、暗鬱な気分になります。
一つひとつの政策をチェックする
たとえば、トランプ米大統領と対峙してもビビることなく、フットワーク軽く交流できる政治家は、ほかにどれだけいるでしょうか。安倍首相ほど多くの諸外国を巡り、経済協力や信頼関係の構築に尽力した首相は、近年ではほとんどいないといえるほど、特に外交面では成果を挙げていると感じています。
また、私は憲法9条の改正には賛成の立場ですが、それは北朝鮮の核開発問題や中国の海洋進出問題など、日本を取り巻く環境が日本国憲法が制定された70年前とは大きく変わっているからです。終戦直後と異なり、日本の安全を脅かす国家がすぐ隣で台頭し、アメリカの軍事力にもかつてほど依存できない懸念がある。そうした国際環境の変遷において、他国を攻撃するためではなく、他国からの侵攻や脅威から自国を守る力を持つことは、独立主権国家を維持するためには欠かせない要素だと思います。
にもかかわらず変化を頑なに拒否するのは、現実逃避か思考停止か、あるいは単なる意地のようにさえ感じます。状況が変われば自国の姿勢も変えるというのは、「変化への対応」ではないでしょうか。