今週で連続テレビ小説(以下、朝ドラ)『ひよっこ』(NHK)が最終回を迎える。
物語の主人公は、奥茨城村で暮らしていた少女・谷田部みね子(有村架純)。貧しいながらも田舎で幸せに暮らしていたみね子は、高校を卒業したら実家の農業を手伝う予定だったのだが、東京に出稼ぎに行っていた父の実(沢村一樹)が行方不明になったために、実家に仕送りをしながら父親を探すために上京することになる。
脚本は『ちゅらさん』『おひさま』に続き、三度目の朝ドラとなる岡田惠和。『ひよっこ』もそうだが、岡田の作品は「悪い人が登場しないユートピアを描いた優しい作品」だといわれる。
そのため、見ていて嫌な気持ちにならず、気軽に楽しむことができる。そんな岡田の作風は、朝の8時から放送されている朝ドラとは実に相性が良い。
もちろん、ほかの岡田作品と同様、『ひよっこ』もただ明るくて優しい世界だけを描いているわけではない。楽しいやりとりの奥に、戦争と暴力の影がチラついて見える。
たとえば、みね子の叔父の小祝宗男(峯田和伸)や、みね子が暮らしていた乙女寮の寮長・永井愛子(和久井映見)は、普段は明るく振る舞っているが、ときどき戦争体験を口にする。それをみね子が受け止めるという構図で物語は展開されていて、そういった影の部分が描かれているからこそ、奥行きのあるドラマとして高く評価されているのだ。
“ユートピア”を破壊しかねない不倫の修羅場
そんな物語の影の部分をもっとも体現していたのが、行方不明となった実の存在だろう。やがて、実は記憶喪失となって人気女優の川本世津子(菅野美穂)のもとで暮らしていたことが明らかになる。「実と世津子は男と女の関係だった」と、普通なら思うだろう。
その後、妻(みね子の母)の谷田部美代子(木村佳乃)が奥茨城から上京し、実を連れて帰るのだが、そのときの川本世津子と美代子のやりとりはオブラートにくるんでいたものの“不倫の修羅場”としかいいようのない場面で、今まで優しく明るい世界として描かれていた『ひよっこ』が突然、不倫ドラマになったような居心地の悪さを感じた。
これは、本作のチーフ演出が不倫ドラマの傑作『セカンドバージン』(NHK)を手がけた黒崎博であることを考えると、確信犯的な演出だったのだろう。
実と川本世津子のエピソードは「すごいところに踏み込んだなぁ」と思ったが、はやりの言葉でいうところの「一線を越えたのか?」がボカされていることで、ギリギリのところで感動的な良い話にしようとしている感じが気持ち悪くて、逆に目が離せなかった。
「もしかしたら、ここまでつくり上げてきたユートピアを、つくり手自身の手によって破壊する気ではないか」とドキドキしたのだが、このエピソードを8月初頭に持ってきたのは、実に大胆な構成だったといえる。
だが、その後2カ月の展開を見ていると、ドラマのペース配分を間違えてしまい、残念ながら物語自体の緊張感は下がってしまったように思う。相変わらず見ているときは楽しいのだが、実と川本世津子をめぐるドラマがあまりに濃すぎて、みね子の物語が完全にどうでもよくなってしまったのだ。