
昨今は、LINEやFacebook、InstagramといったSNS、そしてそれらが使えるスマートフォンの普及によって、常に誰かとつながっている「常時接続」の時代になっています。こうしたSNSは、人間の承認欲求を満たすには格好のツールで、若い人のなかには自分の見られ方を非常に気にし、「いいね」欲しさに写真映えを工夫する人も少なくありません。
しかし一方で、皆が自分を見せ、そして見てもらうという状態は、ある意味「監視社会」を生み出し、日本人の常識や道徳観に合わない言動をする人をいっせいに叩く「炎上」を頻繁に生み出す結果となっています。
そんなふうに強い同調圧力が世間を覆えば、価値観が均質化されやすくなり、人は周囲の反応を過剰に気にするようになります。「生きづらい世の中」「窮屈な社会」といわれるのもそのためです。
そんな重圧から抜け出すひとつの能力が、「孤独を楽しむ力」です。多くの人は「孤独」や「ぼっち」という言葉にネガティブな印象を持っていると思います。実際に日本人のなかには、人との絆やつながりこそ重要であり、「孤独はよくないことだ」という常識があります。「人間はひとりでは生きていけない」という言葉に、「それは違う」と言える人は多くないと思います。
入学・進学した子どもが帰ってきて親が一番にかける言葉が「お友達はできた?」であるように、友達や一緒にいる人が少ない人、つまり孤独な人は、人間として失格であるかのような価値観を強いています。テレビや週刊誌でときどき「孤独死」という言葉が出てきますが、これもやはり孤独をネガティブにとらえている人々が多いということでしょう。
そのため多くの人は孤独を避けようとし、ひとりでいるところを見られまい、知られまいと振る舞います。実際には、孤独がみじめなのではなく、「孤独はみじめだ」と思い込んでいる自分の固定観念が原因です。
たとえば、「ランチメイト症候群(ランチに一緒に行く友達・同僚がいないことが強いストレスとなり、会社や学校に行けない)」や「便所飯(トイレの個室の中で弁当を食べる)」といわれる現象も、ひとりでいるところを見られて「あいつは友達もいない寂しいヤツだ」と思われるのを極度に恐れるからです。
そうした思い込みは、ひとりにならないよう、寂しい人間だと思われないように、自分とは合わない人とでも無理に付き合う、合わないグループに自分を抑えてでも所属する、という行動を生み出します。
しかしそれは、本当の自分を出しているわけではなく、我慢して周囲に合わせて生きているので、いずれ精神的につらくなります。そうやって人間関係に疲弊し、行き詰っている人は少なくありません。