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「『いい女』は60歳を過ぎてから」…70歳にして挑戦し続ける有名デザイナーの流儀

文=道明寺美清/ライター
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死の淵から生還

 紫藤尚世氏は、浅草に生まれ、会社を営む厳格な父と人情に厚く優しい母に育てられた。幼少期から日本舞踊や書道、華道などの稽古へ通ったこともあり、着物に触れる環境にあった。着物デザイナーになることを決意し、本名の「清水美佐子」から「紫藤尚世」に名前を変えて40年がたつ。東京・青山に「SHITO HISAYO SHOP」を構える紫藤氏は、失敗や挫折とは無縁に見えるが、これまで二度も死の淵から生還した経験があるという。

「最初は28歳の時でした。レストラン経営に失敗して億単位の借金を背負い、ビルから飛び降りようかと考えました。二度目は37歳の時。当時、初めての着物ショーを準備していたのですが、乳がんが判明し摘出手術をしました。その時ばかりは、死への恐怖で体が震えました。でも、その死と向かい合った経験から命のありがたさを実感し、死ぬ気になればなんでもできると考え、とにかく今を精一杯生きようと変われたことで現在の私があるのだと思います」

 そう話す紫藤尚世氏は、現在も挑戦し続けている。同氏が手がける8番目のブランド「AAPPARE(アッパレ)」は、おしゃれな女性と男性に来てほしいとの願いで2年前に立ち上げた。新しいブランドの立ち上げを心配する友人から、優しさゆえの忠告もあったが、紫藤尚世氏は「失敗を恐れてやりたいことを踏みとどまるくらいなら、計算できない女のまま死んでもいいと思うのです」と笑顔を見せた。そして、その強い志は AAPPAREを成功させ、新しい着物のかたちとして世界へ発信されている。

今日が今後の人生で一番若い日

 今月、70歳の誕生日を迎えた紫藤尚世氏は、去る10月29日に恵比寿Act Squareで華やかなバースデーパーティーが行われた。ピーター(池畑慎之介)、音無美紀子、東海林のりこ、村上ポンタ秀一など、集まった著名人の顔ぶれは豪華だ。また、著名人だけでなく普段から交流がある各界の友人や顧客を含め、総勢200人が誕生日を祝った。

 ピンと伸びた背筋、颯爽としながらも優雅な身のこなしを見ると、70歳とは信じがたい。今も女性として輝きを放っている。そんな紫藤尚世氏の人生は愛に彩られている。実は、4度も結婚をしている。20代の頃に3度の結婚と離婚を経験した。それからは結婚というかたちに捉われず、女性として、また実業家として充実した日々を過ごしていたが、60歳で再び運命の出会いがあった。

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