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東芝を潰した男・西田厚聰氏が逝去…中途採用から最高権力者へ、豪腕経営者の功罪

文=編集部
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西田・田中・室町体制が崩壊

 異端児の西田氏の辞書には「あきらめる」という文字はない。11年3月11日の東日本大震災による東京電力福島第一原子力発電所の事故が、佐々木氏の権力基盤を崩した。これを機に、西田氏は東芝のキングメーカーに躍り出た。社長に人事権はないため、指名委員会の委員長である西田氏の意向で、社長や役員が決まった。

 西田氏がはっきりと権力を奪還したのは、13年の社長交代の時だった。西田氏は会長に留任し、社長の佐々木氏を、新設した“中二階”の副会長に追いやった。13年2月26日に行われた社長交代の会見は異様なものだった。

 西田氏は社長の条件として「さまざまな事業部門を経験していることと、グローバルな経験を持っていること」を挙げた。「ひとつの事業しかやってこなかった人が、東芝全体を見られるのか」と発言した。原子力畑一筋で、海外経験が少ない佐々木氏を公然と批判した格好だ。

 これに対し佐々木氏は、「業績を回復し、成長軌道に乗せる役割は果たした。ちゃんと数字を出しており、(赤字経営で引責辞任した西田氏に)文句を言われる筋合いはない」と反論。会長と社長が互いを批判し合う異常事態に陥った。

 指名委員会は、田中久雄氏を後継社長に指名した。田中氏は西田氏のパソコン事業の資材調達を担ってきた裏方だ。ノートパソコンの絆で西田氏が田中氏を引き上げたといえる。田中氏は東芝初の調達畑出身の社長となった。

 西田氏が実権を握る指名委員会は、もうひとつの重要な首脳人事を決定した。常任顧問の室町正志氏を取締役に復帰させた。室町氏は12年まで東芝の副社長を務めていた。一度退任したOBが取締役に復帰するのは初めてだ。室町氏は半導体部門のエキスパートで、西田氏が社長だった当時の右腕だった。

 14年、西田氏は会長を退任したが、副会長の佐々木氏は会長になれなかった。替わって室町氏が会長に就任。15年に会長と社長を兼務した。自らの人脈で固める西田氏の政権構想が成就したかたちだ。

 しかし、すぐに暗転した。不正会計が発覚し、佐々木氏、田中氏と共に西田氏も引責辞任した。この3人は派閥抗争に血道をあげ、現在では「東芝をダメにした三悪人」と呼ばれている。

 西田氏は胆管がんの手術後の療養中に取材を受けた。「週刊ポスト」(小学館/11月24号)に、ジャーナリスト・児玉博氏の『“東芝の戦犯”西田厚聰氏が初激白「私は佐々木に騙された」』というタイトルの記事が掲載された。

 西田氏は「東芝が壊滅した責任は自分にない。佐々木則夫の責任だ」と主張した。西田氏の辞書には、最後まで「責任」の二文字はなかった。
(文=編集部)

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