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大谷翔平、1年目は絶対マイナーでやるべき理由…二刀流に重大な懸念も

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入団会見を行うロサンゼルス・エンゼルスの大谷翔平選手(写真:USA TODAY Sports/ロイター/アフロ)
 12月9日、マスメディアに「大谷翔平エンゼルス移籍決定」「背番号は17」といった見出しが躍った。大谷翔平選手のポスティングシステムによるメジャーリーグへの移籍先が、ロサンゼルス・エンゼルスに決まったのだ。


 翌日、本拠地のエンゼルスタジアムで行われた記者会見で本人がユニホームに袖を通す姿を目にし、高まる期待感と共に、こう感じたファンも多かったのではないだろうか。「投手と野手の“二刀流”をメジャーでも実現することができるのだろうか」と。

 もともと、大谷は花巻東高校から直接メジャー挑戦を志していた。2012年のドラフト会議前、大谷は記者会見を開いてその意思を表明したが、結果的には強行指名した北海道日本ハムファイターズに入団した。

 当時、ロサンゼルス・ドジャースの環太平洋担当スカウトとして、その成長を追い続けていたのが小島圭市氏だ。大谷がメジャー行きを熱望した背景には、小島氏の誠意あるスカウト活動があったとされている。

 大谷の才能に誰よりも惚れ込み、現在もアリゾナ・ダイヤモンドバックスのアドバイザーとしてメジャーに太いパイプを持つ小島氏は、ようやく実現した大谷のメジャー移籍および二刀流の可能性について、どう見ているのか。

「今年のワールドシリーズで投げていたはず」


 2017年秋のワールドシリーズ。ロサンゼルス・ドジャースとヒューストン・アストロズが雌雄を決する最終第7戦の先発マウンドには、ダルビッシュ有(ドジャース)が立っていた。小島氏は、その姿に大谷を重ねていたという。

「5年前、もし望み通りにメジャーに渡ってドジャースの一員になっていたら、あのマウンドに大谷が立っていたことは間違いありません。もちろん、今となっては夢物語にすぎませんが、私は当時からそういうイメージを持っていました」(小島氏)

小島圭市氏
 小島氏が確信を持ってそう話すのは、メジャーの球団には若手選手を育成するためのシステムが確立しているからだ。

 17年にアメリカンリーグの最優秀選手(MVP)に輝いたホセ・アルトゥーベ(アストロズ)などを引き合いに出すまでもなく、メジャーでは中南米出身の選手が多く活躍しているが、小島氏は彼らの才能を認めながらも、その活躍は「現地にアカデミーを設立するなど、アメリカの育成システムがあってこそ」と強調する。

 そして、それは5年前の大谷についても同様だったという。

「高校からアメリカに渡って5年間を過ごしていたら、今よりもっと成長していたと確信しています。当時のドジャースでは、大谷を獲得することができたら『まず、マイナーで体づくりやゲーム経験をみっちり積ませ、3年目か4年目にメジャーに上げる』というプランを練っていました。その上で、投球イニングなども徐々に増やしていくわけです。

 そのプラン通りに大谷が成長していたら、5年目にあたる17年は、少なくともピッチャーとして先発ローテーションの3番目か4番目に入って、200イニング近く投げていたはずです。必然的に、ワールドシリーズの舞台でも投げていた。そして、世界に衝撃を与えていたでしょうね」(同)

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