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異質な銀行:スルガ銀行の危機…「かぼちゃの馬車」向け融資を独占

文=有森隆/ジャーナリスト
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 根方銀行→駿東実業銀行→駿河銀行→スルガ銀行と商号は変更されている。2008年から、勤続年数が短い会社員や、派遣の仕事をしている独身女性など、それまで金融機関が二の足を踏んでいたハイリスク層向けの住宅ローンで、ゆうちょ銀行とスルガ銀行は提携した。

 スルガ銀行のロケーションは横浜銀行、静岡銀行というビッグ地銀に挟まれている。生き残るためには独自の営業戦略が必要になる。「ゆうちょ銀の50店舗(当時)と郵便局の窓口を使えば全国展開することができる」と光喜は判断した。スルガ銀行は岡野家の銀行だ。光喜の曾祖父にあたる岡野喜太郎が1887(明治20)年に静岡県駿東郡(現・沼津市)で結成した貯蓄組合「共同社」がスルガ銀行のルーツだ。1895(明治28)年に根方銀行を創立して以来、光喜に至る5代の頭取・社長は岡野一族から出ていた。頭取の肩書きを社長に変えたのは5代目の光喜。「普通の会社は社長なのに、どうして銀行だけ違うの?と子供に聞かれても返答に困る。銀行はサービス業なのだから社長でいい」と即決した。

 スルガ銀行には静岡県のトップ行・静岡銀行の存在が重くのしかかる。戦時中の統制下に、当局から再三にわたり静岡銀行に統合すべし、との強い勧奨があった。当時の頭取は創業者の喜太郎。彼がこれを撥ねつけ、独立を守った。だからスルガ銀行の歴代トップは常に静岡銀行を意識している。さらに、東上する際に、必ず大きな壁として立ちはだかる横浜銀行の包囲網をどう、かいくぐるかを考えてきた。住宅ローンで抜け駆けを決断したのも、全国地銀協の当時の会長が横浜銀行頭取の小川是であったことと無関係ではない。

「ゲタの鼻緒をすげかえる」

 ユニークな頭取は3代目の喜一郎。「喜一郎はわしが預かる」。家父長の一言で、9歳のときから祖父・喜太郎のもとに引き取られ、「畳の縁を踏んでならぬ」といった行儀作法を厳しくしつけられた。2代目頭取・豪夫は旧古河銀行(現・みずほフィナンシャルグループ)で、喜一郎は旧三井銀行で他人のメシを食べた。光喜は旧富士銀行に武者修行の草鞋を脱いでいる。

 この喜一郎は稀代のコレクターとして、美術界に大きな足跡を残した。復員した喜一郎は東京・上野の美術館で開催されていたリトグラフの巨匠、ベルナール・ビュッフェ展に足を向けた。ビュッフェは戦後、彗星のごとく登場したフランスの天才画家だ。「私は、感動して彼の絵の前に呆然としてたちつくした」と書く。虚無の中の挑戦的な眼(まな)差しに魅せられた喜一郎は、私財を擲(なげう)って、ビュッフェの作品を一点、一点買い集め、1973年、世界初のビュッフェ美術館を建設した。喜一郎の死(95年、78歳で死去)から4年後、ビュッフェは自殺した。パトロンの死が、自殺の原因のひとつといわれた。

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