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「相馬勝の国際情勢インテリジェンス」

中国の「大富豪」実業家が実践する「毎日の習慣」

文=相馬勝/ジャーナリスト
中国の「大富豪」実業家が実践する「毎日の習慣」の画像1「Gettyimages」より

「香港経済界のスーパーマン(超人)」と呼ばれる大富豪で、世界の中国系実業家のなかでも最高額の資産を有する李嘉誠(リ・カシン)長江実業会長が今年90歳になることを機に引退を表明した。ほとんどメディアのインタビューに応じないことで知られている李氏は、5年前に広東省の人気週刊紙「南方週末」の単独会見に応じている。そのなかで李氏は、普段めったに触れない毎日のプライベートな習慣などを語っているほか、1996年に長男で後継者の李澤鋸(ビクター・リー)氏が誘拐された際の、犯人である香港マフィアのボスとのやりとりを明かしている。今回は、改めてその興味深い内容を紹介したい。

 李氏は1928年生まれの89歳。故郷は広東省潮州市だが、日中戦争により日本軍が潮州市に侵攻してきたため、李氏一家は40年に香港に逃れる。ところが、その翌年には香港も日本軍の統治下に置かれるなか、42年には父親が肺結核で死亡。14歳の李氏は母親や幼い弟と妹を養うため、学業を断念してセールスの職に就き生活費を稼ぐことになった。

 ところが、李氏自身も肺結核を患っていることがわかり、死の恐怖にさらされる。「このときが私の人生で最大の危機だった」と李氏は振り返る。李氏はどのようにして肺結核を克服したのか。毎朝、香港のビクトリアピークに上ってきれいな空気を吸ったほか、知り合いの調理師に頼んで、彼の母親への手紙を代筆する代わりに、魚の煮込み汁を分けてもらい、毎日食べたという。「私が最も嫌いな食べ物だったが、本当に栄養価が高かったようで、奇跡的に肺結核が治った」と李氏は述懐する。

 その後、李氏はセールスで働いてためたわずかな資金をもとに、49年にプラスティック工場を創業し造花を生産すると、「香港フラワー」として大評判となり、世界中で売れてひと財産を形成し、大実業家としての基礎を築いた。さらに不動産開発などさまざまな業種にわたり幅広くビジネスを展開してきたが、この60数年間、年次決算で一度も赤字を出したことはない。

 これについて、李氏は「わたしは他の企業にも関心を向け、それらの年報を読み込むなど数字はほとんど記憶してきた。また、現時点の儲けばかりでなく、さまざまなニュースやデータを分析して、1年後、2年後など近い将来の経済情勢を思い浮かべるようにしてきた。だから、2008年のリーマンショックなどの経済危機が予測できたのだ」と述懐する。

相馬勝/ジャーナリスト

相馬勝/ジャーナリスト

1956年、青森県生まれ。東京外国語大学中国学科卒業。産経新聞外信部記者、次長、香港支局長、米ジョージワシントン大学東アジア研究所でフルブライト研究員、米ハーバード大学でニーマン特別ジャーナリズム研究員を経て、2010年6月末で産経新聞社を退社し現在ジャーナリスト。著書は「中国共産党に消された人々」(小学館刊=小学館ノンフィクション大賞優秀賞受賞作品)、「中国軍300万人次の戦争」(講談社)、「ハーバード大学で日本はこう教えられている」(新潮社刊)、「習近平の『反日計画』―中国『機密文書』に記された危険な野望」(小学館刊)など多数。

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