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ひどい肩こりが治った!スロー空手ストレッチ、外資系企業社員が続々道場に入門

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バレー部員から空手部員に転身


 群馬県高崎市で生まれた高橋氏は、小学生時代はサッカーに没頭した。中学に入ると女子のサッカー部がなく、バレーボール部に転じて高校の途中まで続けた。両親が体育教員という血筋で、天性の運動センスもあったようだ。バレーボールを始めて2年余で群馬県のベスト12のメンバーに選出。一方で、小中時代はピアノも7年、習字も6年続けたという。

「別のスポーツや習い事を長年続けたことで、教えられる側の気持ちもわかり、現在の教室運営に役立っています。習字のおかげでお礼状も書けるようになりました」(同)

 進学した高校でもバレーを続け、エースアタッカーとして活躍。授業のある平日でも1日6時間の猛練習に耐え、部長になったが、途中で練習内容に疑問を抱く。

「指導方法は前近代的でした。ミスをすれば『オマエらは犬や猫以下だ!』と人格否定される言い方も多く、裏では“刑務所バレー部”とも言われていました」

 練習に来なくなった部員と指導者とのトラブルに巻き込まれて、コーチから無視されたり嫌がらせを受けた。そんな経験から、あれほど必死だった部活動に嫌気がさしたという。唯一の休みが取れた2年次の夏休み最終日(8月31日)、東京から叔父が自宅にやって来た。

「実は、叔父は大正大学空手道部の出身で、一緒にランニングした後、蹴りを教えてもらいました。『筋がいいな、大学に行ったら空手をやれ』と言われたのです。でも当時はバレーボール選手としてプロになろうと思っており、断りました」(高橋氏)

 だが、その後に思い直して高校3年から同高の空手部に移り、空手の名門・大正大学のセレクションを受けて合格。初心者にも門戸を開放した時期だったが、これが同氏の運命を変えた。初試合で敗れた後、今でも敬愛する飯田紀彦氏(同大学空手道部師範。第1回全国空手道選手権大会・組手の部優勝者)から最初に言われた内容が忘れられないという。

「飯田先生からは『いいか、オマエはまだ初心者だ。負けてもいい、思い切ってぶつかれ』と言われました。その言い方の温かさで、凍っていた心が溶けて涙が出てきたのです」(同)

 技でボコボコに叩かれながら、「バレーボール部時代には思わなかった愛情を感じた」と述懐する。

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