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日本人が知らない、在日韓国・朝鮮人の私生活と思い

構成=長井雄一朗/ライター
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――当時、スーパーファミコンは高かったですが、親は買ってくれたのですか。

 お願いをして、2年越しで買ってくれました。ソフトは友達とシェアしていました。教育については厳しかったですね。

――お母さんは、当時でいう“教育ママ”だったのですね。

 来日してからは大阪に住んでいて、東京に来たのは小学校2年生のとき。転入したのは千代田区の番町小学校でしたが、当時は半分くらいが医師か官僚の子どもでした。受験戦争の真っただ中で、小学校5年生のときは家庭教師と塾が毎日のように詰め込まれていました。中学受験もしましたが、失敗。高校は早稲田実業学校に進学しました。

――高校時代は、どんな青春でしたか。

 漫画やアニメが大好きで、高校2年生まではいわゆるオタクでした。特に夢中だったのは、社会現象にもなっていた『新世紀エヴァンゲリオン』ですね。ほかにも『銀河英雄伝説』や『機動戦士ガンダム』などが好きでしたが、最近のアニメはピンと来るものがないですね。それから、早稲田大学に進学しました。

――大学のときは、どう過ごしていましたか。

 在日韓国・朝鮮人の「ウリパラム」というサークルがあり、2年生のときに入会しました。最初は「あやしいな」と思っていたのですが、大学で再会した中学時代の親友が参加していたので、私も参加したのです。「ウリパラム」は韓国も朝鮮も関係なく、ただ在日韓国・朝鮮人の学生が集まってイベントを行うというのが趣旨で、朝鮮高校の出身者も参加していました。

 当時(90年代後半)は南北和合ブーム。民団の学生会に入っていた先輩のひとりから「手伝ってくれ」と言われ、先輩のお手伝いをするうちに自分も民団に入りました。私の人生を大きく変えたのは、この2人といっていいでしょう。

「韓国人でも日本人でもない」

――民団に入ったことで、何か変化はありましたか。

 自分のなかの「在日韓国・朝鮮人はこうあるべきだ」というこだわりが薄れていきました。「韓半島にルーツがある」という共通点だけで、こんなにも人が集まるネットワークは魅力的です。在日韓国・朝鮮人の歴史や背景にも、興味を持つようになりました。そして、「私は韓国人でも日本人でもない」という思いに至りました。では、何者なのか。自分のアイデンティティーについて悩み、「どういう人間になりたいのか」と答えを模索するようになりました。

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23:30更新
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