
「いやらしく」て「かわいい」おじさんを批評する
おじさんを皮肉に見ている
――けっこうフェミニズム的な本も読むとか。
吉岡 はい。上野千鶴子さんの『発情装置』とか。私が学生の頃は、女性が女性をどう表現するかといったことがアートでかなりテーマになった時代なんですね。映画もそうですし、写真ではヒロミックスとか、長島有里枝とか、ガールズ写真が出てきた時代で。私もほぼ同世代なんで、そのへんは意識せざるを得なかったです。
――なるほど。一見、おじさんの、それこそどうしようもない欲望というか、業を描いていて、おじさん好みの絵のように見えますが、実はおじさんを批評しているとか。
吉岡 そうです。私はマッチョが嫌いでして、DVとか、男らしさや父権を誇る人が生理的にだめなんです。

――でも誤解されるでしょ?
吉岡 そうですね。でも本当は、私の絵ではおじさんを意地悪に描いていて、女性のほうが優位に立っているように描いているのです。
――言われると気づくんだよね。おじさんは、ひたすら“いやらしい”というか、“かっこ悪い”し。
吉岡 そういうおじさんをかわいいと思う面もあるんです。愛憎半ばで。皮肉な目で描いている。ピンクチラシでも普通のエロ写真でも男性目線で表現されていますが、そうではない、女性の目線で描くとどうなるかということです。だから女性を強い存在として描いている。
――なるほど。だからか。あなたの描く女性はとても美しくて、官能的というか、やや太めで、つややかで、インドや南米の女性みたいに自然の生命力がありますものね。単なる商品化されたエロではない、本当のエロスです。
吉岡 そうですか。自分ではあまり意識していませんが。
――個展では女性客も多いそうですが、女性は何を求めて来ているのでしょうか?
吉岡 やっぱり私の意図に気づいている人が増えていると思いますね。
――じゃあ、テレビゲーム、デジタルアートはどう思うのですか。
吉岡 いずれも好きではありませんね。目が大きくて胸がでかいアニメとか、全然だめです。今のグラビア写真も嫌ですね。まったく女性が人形というか、性の対象として人工的に作られたもののように見える。昭和のエロは、確かに男性目線でつくられているけど、生の人間としての女性がいる。
