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孫正義氏の手法を徹底批判、auを創った男・千本氏、今度は電力業界に革命

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千本倖生氏の経歴

 千本氏は通信業界の名物男である。これまでも新しいビジネスを次々と開拓してきた。

 1966年、京都大学工学部電子工学科を卒業、日本電信電話公社(現NTT)に入社。2年後、フロリダ大学修士課程・博士課程に進み、工学博士号(電気工学)を取得した。留学中にルームメイトから「独占事業をやるのは悪だ。リスクを取って起業して競争するものこそ尊敬される」と言われたことが耳に残り、これが、ベンチャー人生を歩む原点となった。

 42歳のとき、部下数千人を抱える部長職を最後に電電公社を退職。電電公社の民営化と通信の自由化を間近に控えた1984年、京セラ創業者の稲盛和夫氏を説得して、第二電電(現KDDI)を共同で創業した。大阪のコーヒー店で、稲盛氏に新しい通信事業会社の構想を諄々と説いたのは有名だ。「僕がやったら、通話料金を安くできる」が殺し文句だった。第二電電の専務として、市外通話料金の大幅値下げをやり遂げた。

 携帯電話時代をにらんで、1990年に社内ベンチャーのDDIセルラー(現在のau)を立ち上げた。次に、「ケータイ料金は高すぎる。僕がやれば安くできる」と言って、94年にはDDIポケット(その後・WILLCOM)を設立し、低価格のPHSを広めた。

 だが、DDIが大企業になるにつれて、社内ベンチャーを奨励する雰囲気はなくなっていった。自分の周囲に壁のようなものができたと感じた千本氏はKDDIの副社長を退任。96年から慶應義塾大学大学院経営管理研究科教授として「ベンチャー企業経営論」を教えた。

 だが、学問の世界に閉じこもっているような男ではなかった。インターネット時代が到来するとアントレプレナーの心に火がついた。「日本のインターネット通信は高くて遅い。僕がやれば、安く速くできる」と言って、99年にイー・アクセスを設立した。新しいパートーナーとなったのが米投資銀行、ゴールドマン・サックス(GS)のアナリストだったエリック・ガン氏で、後にイー・アクセス社長になった。

 海外で主流となっている、安くて速い電話線を使ったデジタル高速通信、ADSL(非対称デジタル加入者線)を国内に初めて導入したのも千本氏だ。孫正義氏のソフトバンクとヤフーがADSLに参入したのは、その後だ。

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