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池内ひろ美「男と女の問題を斬る」

財務次官セクハラ疑惑、柳原可奈子の「セクハラだと感じない」発言は極めて問題である

文=池内ひろ美/家族問題評論家、八洲学園大学教授

 セクハラは、受け手側の感情だけで成立していると誤解されやすいのだが、根本的な問題は、セクハラ発言をする側、セクハラ行動をとる側がそれをやめることができなければ解決はない。

 たとえばひとりの被害者が、セクハラ発言をうまくかわして“成長”すれば、彼女はもう被害者ではない。これでは、加害者は反省の機会を失い、加害側の成長はない。成長や反省の機会を失った加害者は、相手を変えてまたセクハラ言動を続けることになる。セクハラ言動をとった人がペナルティを受けず、地位を失わないということは、その組織においてはセクハラが容認されたということになる。そして、次なる被害者が生まれる。次の世代に、セクハラ容認の文化が継承される。

「女性側が、うまくかわせばいいじゃない」と、被害を受けていない女性が言うことの罪深さが、ここにある。いや、かつて被害を受けていた女性ですら、「私のときだって大変だったけど、耐えたり、かわしたりしたんだから、次の世代もがんばって耐えたりすればいい」と言う場合すらある。

 これが、「女の敵は女」である。

財務省の調査協力要請

 財務省大臣官房は4月16日、「福田事務次官に関する報道に係る調査への協力のお願い」という文章を記者クラブに配付した。そこには、福田事務次官との間で週刊誌報道に示されたようなやりとりをした女性記者の方がいれば、調査への協力をお願いしたいと書かれていたと報じられている。

 加害者とされる側の組織から、「被害を受けた女性がいるなら名乗り出てほしい」と言われたらどうだろう。「組織」に対して「個人」がその被害を名乗り出ることができる環境が整っているのであれば、その組織にはセクハラなど最初から存在していないだろう。

 セクハラは、被害者側が勇気を出し努力することよって解決するわけではない。加害者側が反省し、その言動を改めることで、はじめてひとつのセクハラ事件が解決する。一つひとつのセクハラ案件を解決することに丁寧に取り組み、はじめて組織の持つセクハラ文化を変えることができるのである。
(文=池内ひろ美/家族問題評論家、八洲学園大学教授)

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