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小樽や伊勢の観光客が激増した理由

文=山田稔/ジャーナリスト
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鉱山資源の活用や昭和30年代を再現する自治体も登場

 地方の小さな自治体でも独自のまちづくりが進んでいる。

【養父市】

 大阪、神戸から約2時間、兵庫県の但馬地方にある人口2万4000人ほどの養父市には、かつて日本一のスズ鉱山だった明延鉱山がある。明延地区は最盛期には人口4000人の鉱山町として賑わったが、1987年の閉山後は人口流出が進み、現在は人口100人を下回る限界集落になった。そこで、1934年に建てられた共同浴場を改修して資料館に、旧社宅群に古い家具などを設置して公開するなど鉱山町の景観を保全し、活用している。

 一方で、鉱山鉄道(一円電車)を復活させ、月1回の定期運行を実施。さらには鉱山の歴史・文化を次世代に伝えるため、地域住民がガイドクラブを設置し、行政は坑道の一部を鉱山の学習施設として整備した。一連のまちづくりの結果、2017年には、養父市の明延鉱山・中瀬鉱山を含む6市町にまたがる「播但貫く、銀の馬車道 鉱石の道」のストーリーが文化庁の日本遺産に認定された。明延地区の観光客数は整備開始時(08年)の5000人から、17年には1万2000人(見込み)へと倍増した。

【豊後高田市】

 大分県の北東部にある人口約2万3000人の豊後高田市。江戸時代から昭和30年代にかけ国東半島で最も栄えた町だったが、過疎化などで衰退。かつての賑わいを取り戻そうと2001年から「昭和の町」の取り組みをスタート。店舗デザインを昭和30年代の外観に改修、昭和の生活ぶりを体験できるテーマパーク「昭和ロマン蔵」をつくり、総延長550メートルの商店街には、当時使用されていた商売道具などが「一店一宝」として展示されている。こうした昭和30年代を意識したまちづくりで「昭和の町」の訪問客は01年の2万5712人から15年には約36万人へと激増した。

 実例集には、このほか、05年の豪雨災害からの復興とともに官民一体となって取り組んだ街づくりで商店街を復活させた宮崎県諸塚村や、旧城下町と高齢者住民のもてなしを生かした奈良県高取町など、さまざまな取り組みが紹介されている。

 この実例集をまとめた国土交通省の担当者は「自治体関係者だけでなく、一般の方々にも見ていただいて、街づくりの参考にしてほしい」と、資料の活用に期待を寄せている。

 全国各地で展開されている独自の街づくりは、観光客増や住民の満足度アップなどの効果が表れてきているが、すべてが本格的な地域活性化につながっているとは言い難い。

 たとえば、観光客が急増している小樽市にしても、人口は1960年の20万4856人が現在は11万8475人(2018年2月末)と、減少に歯止めがかからない。事業所数、従業員数も平成に入ってから減少傾向にある。

 景観を重視した街づくりの継続は不可欠だが、もうワンパンチほしいところだ。住民が定着したくなるような街づくりを発展させていくことで、若者の回帰、人口増、新しい産業創生といった、本格的な地方の活性化につなげる時期にきているのではないだろうか。
(文=山田稔/ジャーナリスト)

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