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江川紹子の「事件ウオッチ」第102回

【マニラ・慰安婦像撤去】消えない日本軍の加害の実態と、記憶すべき被害者との約束

文=江川紹子/ジャーナリスト
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〈逃げ出そうとした慰安婦が殺されたのを目撃したというロラたちがいる。そして、逃げようとしたところを見つければ首をはねてやると脅されていたロラたちもいる。ロラのひとりは、逃げ出せないように他の4人の女性たちと腰をひもでつながれていたと話している〉

 暴力と恐怖によって連行され、監禁され、陵辱された女性たちの心の傷は深い。この聞き取り調査は戦後60年近くたって行われたにもかかわらず、応じた女性たちの多くは、語りながら涙ぐみ、泣き出した者もいたという。

ヘンソンさんはなぜ日本の過ちをゆるしたのか

 あまりに悲惨な体験だったため、起きたことは一人ひとりの胸に長い間しまい込まれていた。なかには、思い切って夫に打ち明けたところ、離婚されたという女性もいる。彼女たちが外に向かって自分の被害を語り出したのは、占領から解放されて50年前後が経過してからだった。その最初が、92年9月に慰安婦として名乗り出たマリア・ロサ・L・ヘンソンさんだ。彼女は、14歳の時に日本兵にレイプされ、15歳の時に日本軍の検問所で捕捉され、慰安婦にさせられたという。93年に日本政府を相手取って裁判を起こし、ようやく対外的に声をあげる人たちが後に続いた。

 日本で元慰安婦の人たちに償いをする「アジア女性基金」の構想が持ち上がった時、ヘンソンさんは反対した。日本政府が「法的責任」を認めて賠償を行うことこそ「正義の実現」だと主張した。フィリピンでヘンソンさんらを支援する人権団体「リラ・ピリピーナ」も、韓国の「韓国挺身隊問題対策協議会(挺対協)」と同じように、強い批判を展開した。同団体は、今も日本の「正式な謝罪と賠償」を求め続けている。

 反対の理由は、女性基金による「償い金」200万円は国民からの拠金であり、公式な国家賠償ではないということだった。ただ、女性基金の償いは、それに加えて政府予算からの医療・福祉支援事業(フィリピンでは1人当たり120万円)が加わり、内閣総理大臣からのお詫びの手紙が送られることになっていた。限りなく国家賠償に近い、日本国として尊厳を傷つけられた女性たちへの謝罪ともいえた。

 女性基金の対話チームと話し合った被害者のなかには、こうした基金の理念と「償い」の趣旨に理解を示し、受け入れる意向の人たちも出てきた。ヘンソンさんもそのひとりだった。リラ・ピリピーナは被害者一人ひとりの意向を尊重し、受け取りたい人は受け取ることを認めた。そこは、個人の意思を無視して、団体の方針を押し付け、償いを受け入れた被害者を非難し、辱め、差別し、他の被害者が受け入れを公にできないほどの圧力をかけた韓国の挺対協とはまったく違っていた。

 96年8月14日、「償い」を受け取ったヘンソンさんは、ほかの2人の被害女性と共に記者会見に応じ、橋本龍太郎総理(当時)からのお詫びの手紙を掲げて、こう語った。

「今まで不可能と思っていた夢が実現しました。大変幸せです」

 その手紙には、次のように書かれていた。

〈いわゆる従軍慰安婦問題は、当時の軍の関与の下に、多数の女性の名誉と尊厳を深く傷つけた問題でございました。私は、日本国の内閣総理大臣として改めて、いわゆる従軍慰安婦として数多の苦痛を経験され、心身にわたり癒しがたい傷を負われたすべての方々に対し、心からおわびと反省の気持ちを申し上げます。

 我々は、過去の重みからも未来への責任からも逃げるわけにはまいりません。わが国としては、道義的な責任を痛感しつつ、おわびと反省の気持ちを踏まえ、過去の歴史を直視し、正しくこれを後世に伝えるとともに、いわれなき暴力など女性の名誉と尊厳に関わる諸問題にも積極的に取り組んでいかなければならないと考えております〉

 手紙の最後には、橋本総理の自筆の署名がしたためられていた。

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