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経済で新しい時代を拓く――株式取引所設立に尽力した男たち(4)五代友厚編

商都・大阪を活性化させた五代友厚は何がスゴかったのか

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『日本経済の心臓 証券市場誕生!』(集英社/日本取引所グループ)
 2018年は日本の近代化の幕開けともいえる明治維新から150年にあたる年だが、節目となるのはそれだけではない。日本経済の象徴ともいえる街・兜町にある東京証券取引所は、前身となる東京株式取引所を含めて今年で設立140周年を迎えた。


 集英社から出版されている『日本経済の心臓 証券市場誕生!』(日本取引所グループ)は、江戸時代から現代に至るまでの証券の歴史を膨大な史料で追いかけた1冊で、江戸時代の「堂島米会所」、明治時代の「東京株式取引所」、戦後の「東京証券取引所」の3つの“誕生”が軸となっている。

 この連載では、その3つの誕生の中から、日本に「株取引」をもたらした明治時代初期の「株式取引所設立」という出来事にフォーカスを当て、渋沢栄一、田中平八、今村清之助、五代友厚という4人のキーマンの生きざまを、『証券市場誕生!』の編纂を担当した日本取引所グループ金融リテラシーサポート部の石田慈宏氏のコメントとともに追いかけていく。

 第4回となる最終回は、連続テレビ小説『あさが来た』(NHK)でディーン・フジオカが演じた五代友厚(才助)を取り上げる。

 これまで紹介した3人は東京に拠点を置き、東京株式取引所の設立にかかわってきたが、友厚の大きな功績は大阪に株式取引所を設立したことだ。では、その激動の半生を振り返っていこう。

世界地図から地球儀をつくっていた10代


 大阪証券取引所の前身となる大阪株式取引所が設立されたのは、1878年6月17日のこと。渋沢栄一、田中平八、今村清之助らが尽力した東京株式取引所の設立から1カ月遅れてのことだったが、実は東京と大阪の株式取引所設立は、ほとんど連動していない。

『日本経済の心臓 証券市場誕生!』(集英社/日本取引所グループ)
 東京は東京の動きがあったが、大阪にも大阪の動きがあり、大阪でも株式取引所の必要性が高まり設立されたのである。

 その動きの中心人物だったのが、五代友厚だ。友厚といえば、大阪商法会議所の初代会頭に就任するなど、商人の都・大阪を活性化させた実業家だが、もともとは薩摩の出身である。

 1836年、鹿児島の城ヶ谷(現在の鹿児島市長田町)にて誕生。父親は上級武士で、漢学者としても知られていた。友厚が14歳のとき、のちの薩摩藩主・島津斉彬が入手したドイツ製の世界地図を父親が献上したことがきっかけで、世界に興味を抱く。当時、すでにローマ字を習得していた友厚は、その世界全図を手がかりに地球儀をつくってしまう。世界は広い――こうして、友厚は開明思想を強めていく。

 1857年、友厚は斉彬の命を受けて赴いた長崎でオランダ士官から航海術を学ぶ。ここでは勝海舟との親交が始まっており、勝からの影響を受けたことは想像に難くない。一度薩摩に帰藩するも、再度長崎に遊学。在日イギリス人によって設立された「グラバー商会」に出入りしている。

 1862年には上海に渡航。これは蒸気船と武器の購入という薩摩藩の密命をおびたもので、ここでは長州藩士の高杉晋作と邂逅している。

『日本経済の心臓 証券市場誕生!』

江戸時代の堂島米会所から明治期の取引所設立、戦後の証券市場復興とバブル期の隆盛まで、「証券市場の歴史」決定版! 世界初の先物市場は17世紀に大阪米市場から生まれた。将軍さえも思いどおりにはできなかった米市場の実態とは? 明治維新後の動乱期に、証券所設立のために政府と民間の立場を超えて協力した渋沢栄一や今村清之介、田中糸平。彼らの生涯とは? 戦後のGHQとの証券市場復活交渉における意外な秘話や、バブル期のエネルギーあふれる市場の活況まで、人と人のつながりが育ててきた証券市場の物語。

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