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江川紹子の「事件ウオッチ」第104回

歪んだ正義感はなぜ生まれたのか…弁護士への大量懲戒請求にみる“カルト性”

文=江川紹子/ジャーナリスト
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 典型的なカルト教団であるオウム真理教の信者も、人殺しまで行うのはごく一部の幹部らで、多くの信者は直接関与しておらず、犯罪が行われていたことすら知らない。むしろ、教団はよいことを実践しているのに、社会から迫害されていると思い込んでいた。特に社会で生活をしていた在家信者たちはそうである。教団の教えはすべて真理と確信し、「米軍がオウムに毒ガス攻撃をしている」などという突飛なこともすべて真実と信じ込んだ。家族が、そのおかしさを指摘しても聞き入れないことが多く、自分で考え、確かめることをしない。

 ただ、このブログの信奉者は、オウムのように組織的な拘束を受けているわけではない。

“信者”を生む反知性主義的な宗教性

 家族の話も聞き入れないほどのめり込んでいる者がいる一方、先の女性は、このブログの危うさを指摘する人の話を聞いて、「ここはカルトじゃないか」と気がつき、離れることができた。佐々木弁護士に和解を申し入れてきた人の中にも、自分の行為の異常さに気づいて、「ブログを読んでいた時は洗脳状態だった」と語る者もいる。

 アメリカで変質したキリスト教がつくり出した精神文化を分析し、トランプ大統領が出現する背景をひもといた『反知性主義』(新潮選書)などの著作で知られる、森本あんり・国際基督教大副学長も、彼らの価値観に宗教性を感じる、と指摘する。

「懲戒請求をしている人たちは、『正義』を楽しんでいる、自分たちは正統であるという意識を堪能しているように見えます。自分たちの怒りは義憤であり公憤であって、悪をやっつけるのだという意識が感じられ、非常に宗教的です」

 宗教的な価値観が前面に出ると、「善」は絶対善であり、「悪」は絶対悪であって、そこには妥協はない。多様なものの見方も許さない。だから、「悪」を叩くことに容赦がないのだろう。

 ただ、森本さんが語る昨今の「宗教」イメージは、かつてのそれとはかなり異なる。

「昔は、何かを『正しい』と信じるには、論理的整合性や組織の裏付けが必要でした。今は違います。個人個人が、心の中で感じられるものが大事。感動して涙が止まらない、そういうものが正しいのです。これは神秘主義の特徴でもあります。日曜日には礼拝に行く、といった行動よりも、自分がどれだけ感動できたかが大事で、それが正しさの基準になっているのです」

 このような「宗教」は、伝統宗教にありがちな組織性はさして重要ではなくなり、「信仰」は極めて個人主義的な営みとなる。

 今回の大量懲戒請求問題に照らし合わせてみると、請求者にとっては、ブログの内容が、事実に即しているか否か、思想として論理的であるか否か、懲戒請求制度の趣旨に照らして適正か否かなどは重要ではなく、読んで自分が心を動かされ、共鳴し、怒りや使命感を呼び覚まされた実体験が大事。それによって、「正しさ」への確信が生まれると、その言説の論理的不整合や事実の過ちを指摘しても、「信仰心」はなかなかゆるがない。

「宗教」であるがゆえに、その「正しさ」は当人にとって普遍性を持つから、自分にとって「正しい」ことは、「みんな」すなわち日本社会にとっても「善」であるという確信になる。だから、自分たちの行動のために他者に迷惑をかけることは、気にならない。

 しかも、組織的な規律が求められるわけでもなく、街に出てヘイトデモなどに参加する義務もなく、個人で参加できるので、極めてハードルが低い。懲戒請求を行った人たちは、自分の名前や住所が相手の弁護士に通知されるとは知らず、政治的主張への賛同署名でもするかのように、気軽に参加した者が少なくないようだ。弁護士の返り討ちにあうことは予想せず、「こんなことになるとは思わなかった」と動揺した者もいた。

江川紹子/ジャーナリスト

江川紹子/ジャーナリスト

東京都出身。神奈川新聞社会部記者を経て、フリーランスに。著書に『魂の虜囚 オウム事件はなぜ起きたか』『人を助ける仕事』『勇気ってなんだろう』ほか。『「歴史認識」とは何か - 対立の構図を超えて』(著者・大沼保昭)では聞き手を務めている。クラシック音楽への造詣も深い。


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