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『西郷どん』過剰な「西郷美化」演出で興ざめ…感動シーンが「謎演出」でぶち壊し

文=吉川織部/ドラマウォッチャー
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 鈴木亮平が主演を務めるNHK大河ドラマ『西郷どん』の第21回が3日に放送され、平均視聴率は前回より0.2ポイント減の12.0%(ビデオリサーチ調べ、関東地区)だったことがわかった。

 21話は、西郷吉之助(鈴木)が薩摩に帰還するまでの過程が描かれた。島津久光(青木崇高)が藩の実権を握り、大久保正助あらため一蔵(瑛太)が藩の重役に出世したことで藩内での環境が整い、奄美大島で流人生活を送っていた吉之助を薩摩に呼び戻すことが可能になったのだ。

 大久保一蔵は自ら島を訪れて吉之助に帰還を促すが、吉之助は「島で暮らす」と言って譲らない。だが、愛加那(二階堂ふみ)や龍佐民(柄本明)も吉之助の心の内にある迷いを見抜き、薩摩に帰って役目を果たすようにと背中を押す。そして訪れた別れの日。吉之助は、島民らが歌う別れの唄に見送られて島を後にした――という展開だった。

 西郷が奄美大島に妻と子どもを置き去りにしたまま薩摩に帰還したのは史実だが、現代的な価値観でこれをそのまま表現するのが厳しいことはわかっていた。そのため、ドラマでこれをどうきれいにまとめるかが焦点となっていたが、まあ無難にまとめたといえるだろう。「妻に後押しされて薩摩に帰ることになったので吉之助は非情ではないし、妻が納得しているのだから悪くない」という理屈でストーリーが構成されていた。本作では西郷を徹底して善人に描いており、その路線に沿った描き方といえる。

 だが、西郷の行動をすべて擁護しようとするあまり、無理が生じている感も否めない。脚本の中園ミホ氏は、西郷の黒い面をすべて人のせいにして片付けようとしているように見える。「西郷本人は望んでいなかったが、周りが望むからやった」ということにすれば丸く収まるという考えのようだ。

 それも一理あるとは思うが、そればかりでは厳しい。すでに本作の西郷吉之助は、すぐ他人の言動に流される行き当たりばったりで誠意のない人間になってしまっている。結果的に今回も「身重の妻を捨てて薩摩に帰った」という吉之助の決断を擁護したストーリーになりきれず、もやもや感が残ってしまった。どの道、創作なのだから「薩摩に帰って偉くなり、島から搾取するのをやめさせる」とでも吉之助に言わせたほうが良かったのではないか。そのほうがまだ、妻を置いて薩摩に帰った理由として納得できる。

 西郷の描き方には不満が残ったが、吉之助が小舟で島を去るラストシーンは感動的で、目頭が熱くなった。それだけに、別れ別れになる吉之助と愛加那の悲しみがもう少し描かれていたら、もっといい場面になったのにと、残念でならない。実際には、海に腰まで浸かって抱き合いながら「島唄」を歌う“謎演出”ですべてを済ませてしまったが、他の場面での人物描写がしっかりしていれば「粋な演出」として評価されたことだろう。だが、そうでもないのに、台詞のないワンシーンで2人の感情を視聴者に察してもらおうとする演出は、はっきり言って脚本家の“手抜き”である。

「人物描写が浅くてつまらない」と酷評された江戸編に比べ、奄美大島編は全体的に評判が良かったが、締めくくりでまたしても中園脚本のダメポイントがあらわになってしまった。来週からは再び登場人物が多くなり、政治の動きが激しくなるが、中園氏の脚本はこの2つが重なると極端に単調になる。今のところ先行きに不安要素しかない。
(文=吉川織部/ドラマウォッチャー)

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