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水野誠「マーケティングの進化学」

都市と情報空間、なぜ似た者同士の「分居」が進むのか?

文=水野誠/明治大学商学部教授

分居」モデルが教える複雑系の原理

 さて、この話がどうマーケティングに関係するのでしょうか。シェリングの分居モデルは、複雑系と呼ばれるメカニズムを表す典型的な例と考えられます。そしてそれは、マーケティングにおいても非常に示唆に富んでいます。複雑系の発想は、社会の動きはミクロな行動主体(エージェント)の振る舞いが積み重なって起きるというものです。ただし、それらは足し算(線形)ではなく掛け算(非線形)で起きるため、個々人が予期しなかった変化が社会全体に生じ、それが個々人の行動を縛っていくのです。

 シェリングの分居モデルでは、人々は自分の隣の住民しか見ていないという意味で極めて近視眼的で、隣に空いているところがあれば動くという場当たり的な行動しかしませんが、そこから分居というマクロの秩序が生まれます。その結果、自分の周囲に同類が増えてくると人々は移動しなくなります。人々は多様性を多少は受け入れるつもりだったのに、予期せぬ結果として、ある程度分断された社会に生きることになります。それと本質的に似た現象が、消費市場にも起きているのではないでしょうか。

 ここで、シェリングの分居モデルがそのままマーケティングや消費者分析に応用できるかについて考えてみましょう。まず格子状の空間が居住地ではなく人々の社会関係を表していると考えてみます。人々は価値観で分かれ、誰もが価値観の近い人が周囲に一定比率以上いることを望むとしましょう。価値観は単純化して2タイプとします。現在、同じ価値観の友人が少なければ、人間関係を再構築します。そういうモデルをシミュレートすると、分居モデルと同様、価値観が同じ人同士のかたまりができるようになります。このような現象は、現実の市場でも起きています。

 同じ価値観や趣味の人々が結びつく傾向は以前からありますが、今日それを加速しているのがインターネットであり、ソーシャルメディアです。消費者の行動は、そうしたメディアで流れる情報にますます影響されるようになっています。ソーシャルメディアではリアルな人間関係と違って、価値観や趣味が近い相手だけを選んで交流することが可能です。その結果、価値観の近い人の声だけに耳を傾ける、エコーチェンバーと呼ばれる現象が生じているという指摘もあります。これは、まさに情報空間における「分居」が起きていることにほかなりません。そして、シェリングのモデルが示唆するように、消費者にそれほど強い選好がなくても、結果として特定の価値観に縛られてしまうことがあり得るわけです。

 もちろん、マーケティングの観点に立つと、シェリングの分居モデルだけでは不十分であることは否めません。ネット上でどれだけの人々とつながるかには、大きな個人差がある可能性があります。ソーシャルメディアでハブと呼ばれる人々は、膨大な数のフォロワーを持っています(ただし、本人が投稿を読んで影響を受けることがある範囲は限られるかもしれません)。人々が格子状の空間でつながっているという設定に無理があるなら、より柔軟なネットワーク構造を考える必要があります。

 人々の価値観が2種類というのは少なすぎるし、それが固定しているのも現実的ではないでしょう。自分の周囲に自分とは別の価値観を持つ人々が増えていったとき、そうした人々を遠ざけるのではなく、自分の価値観を彼らに合わせていくのもひとつの適応の仕方です。新製品の普及やファッションがまさにそうですが、周囲が採用したから自分も採用するという行動は、現実の市場ではよく見られる出来事です。そうした現象を扱うモデルについては、機会を改めて紹介していきたいと思います。

エージェントベース・モデルを使う

 シェリングの分居モデルのようなアプローチは、前述の通りエージェントベース・モデリング:ABM(あるいはマルチエージェント・シミュレーション:MAS)と呼ばれています。個人や組織の動きを抽象的に描写したプログラムをつくり、それらの間に相互作用を起こすことにより、最終的に全体としてどのような帰結を導くかをシミュレーションする手法です。シェリングの研究が発表された頃と比べてコンピュータの性能が格段に向上し、また誰でも簡単に使えるようになってきました。最近AI(人工知能)への期待が高まっていますが、ABMはAIの一分野でもあります。

 マーケティングの研究や実務にとっても、ABMは大きな可能性を持っています。というのは、消費者の自律的な行動が重要度を増し、消費者間、消費者と企業間の相互関係が複雑化していくと、従来のアプローチでは手にあまるようになるからです。とはいえ、これまでもABMの効用が謳われながらも思ったほど普及しなかった一因は、ABMに実データを適合させ、経験的な妥当性を示すことが難しかったからでしょう。そのために今後手法の進化が必要になりますが、一方でシェリングの分居モデルのように、抽象的だが(それがゆえに)物事の本質を突いた研究を進めていくことが考えられます。
(文=水野誠/明治大学商学部教授)

(参考文献)
シェリングの分居モデルについては、以下の書籍の4章で説明されています:
トーマス・シェリング『ミクロ動機とマクロ行動』(村井章子・訳)、勁草書房
分居の実証分析として本文中で引用したのは以下の論文です:
 Sethi, R. & Somanathan, R.: Racial Inequality and Segregation Measures: Some Evidence from the 2000 Census. Review of Black Political Economy, 36(279-91), 79-91, 2009.
しかし、最近の動向については、以下のページも参考になると思います:
Follow the accident. Fear the set plan.「拡大するモザイク
エージェントベース・モデリングについて知るには、上述の「MASコミュニティ」のサイトが大変充実しています。

水野誠/明治大学商学部教授

水野誠/明治大学商学部教授

明治大学商学部教授
、博士(経済学)東京大学。1980年筑波大学第一学群社会学類卒業。1985年筑波大学大学院経営・政策科学研究科修士課程修了。2000年東京大学大学院経済学研究科企業・市場専攻博士課程単位取得満期退学。株式会社博報堂(マーケティング局・研究開発局、1980~2003年)における勤務、筑波大学社会工学系専任講師、同大学大学院システム情報工学研究科専任講師、准教授(2003~2008年)、明治大学商学部准教授(2008~2014年)を経て現職

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