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私が高校時代の大迫勇也に悪癖を指摘したとき、「並の選手ではない」と感じた返答と姿勢

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プロ入り4年目で覚醒

 プロ2年目から背番号9を託され、出番を増やし続けた。だが、その過程でもやはり“悪癖”は頻度こそ減ったものの、たまに顔を出していた。

 しかし、2012年シーズンの途中から、さらなる変化が見られるようになった。これまでなら、明らかに足元にボールを要求していたシーンでも、前のスペースに要求し、ワンタッチでDFを剥がしてゴールに迫るプレーが出始めたのだ。さらに13年になると、今度はDFを背負うと見せかけて一気に前に出て行ったり、一発で裏に抜け出したりと、よりゴールに対してシンプルに、かつ鋭さを増す動きを披露するようになったのだ。

 これにより逆に得意の「背負うプレー」はより効力を増した。裏に来るかと思うと、足元でボールを受けられ、精度の高いラストパスやシュートを繰り出されてしまう。かといって、足元を警戒すると裏を破られる。DFラインとの駆け引きの精度が格段に増し、本来持っていた「ストライカーとしての怖さ」をより強固なものにしていった。さらに、高校時代からずっと苦手としていたヘディングでも、それを得意とする岩政大樹(現東京ユナイテッド選手兼監督)から極意を伝授され、ウィークポイントではなくなった。

 こうした変化を境に、彼の眠っていた才能がさらに開花した。プロ入り4年目の12年にリーグ32試合出場で9ゴールを挙げると、翌13年はリーグ33試合出場で倍以上の19得点と、一気に鹿島の不動のエースストライカーに定着。また、東アジア選手権で日本代表に選出されると、そこからコンスタントに日本代表に呼ばれるようになった。

 そして、14年からはドイツリーグに挑戦の場を移し、同年のブラジルW杯に出場した。それ以降、約1年半にわたって日本代表から離れていたが、1.FCケルンでもコンスタントにプレーを積み重ねて来た結果、自身2度目のW杯であるロシアの地で、さらなる輝きを放っている。それも、4年前とは考えられないほどのスケールアップを遂げて。

「常にシュートを打つことを意識している。代表は一人ひとりがすごくうまいし、そのなかで僕がひとつのオプションになれれば、自分自身のレベルアップにもつながると思う。下がったり、サイドに流れたりと、もっと臨機応変に動いて、攻撃のバリエーションを増やせられたらいいと思う。もちろん、点は絶対に取らないといけない」

 コロンビア戦で香川真司のPKを生み出したプレーは、得意のDFを背負ってからの反転から生まれ、決勝ゴールは苦手だったヘッドで決めた。

 高校時代から、「将来の日本代表のエース」と言われてきた大迫が、鹿島やケルン、日本代表でもがき苦しんだ結果、自らの課題を修正し、見事に万能型ストライカーとしての才能を開花させた。

「代表でもっと点を取れる選手にならないと、生き残ってはいけない」(大迫)

 常に抱き続けた危機感を、今もなお胸に刻みながら、高校時代からの代名詞である「日本一の背負うプレー」と、進化した多彩なゴールへのアプローチを持つ、日本が誇る万能型ストライカー・大迫勇也は、グループリーグ突破を懸けたグループリーグ最終戦のポーランド戦に臨む。
(文=安藤隆人/サッカージャーナリスト)

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