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木村貴「経済で読み解く日本史」

1万年以上前、なぜ日本人は200キロ離れた場所の石で石器をつくれたのか?

文=木村貴/経済ジャーナリスト

 さらに1万7000~1万8000年前に近づくと、最小の石材からできる限りの道具をつくり出そうとする、細石刃(さいせきじん)という新しい石器づくりの手法が各地に現れる。石塊から鹿の角などで押しはがす技術も用いて、幅1センチメートルにも満たない微小な石の刃をこそぎ取る。この小さな刃を木の柄に彫った溝に植え込んで使ったらしい。柄の形と刃の並べ方次第でナイフにも槍にもなるうえ、わずかな石材と道具があれば、どこででも必要に応じて好きな形の道具をつくり出せる。

労力だけではなく、時間というコストもかかる

 石器以外で興味深いのは落とし穴だ。静岡県東部の箱根・愛鷹山麓などでは直径、深さとも1.5メートルほどの穴が列をなし、狩猟用の落とし穴と考えられる。どんな動物を獲ったかについては、鹿や猪などの中小型獣に限ったという説と、ナウマンゾウや大角鹿などの大型獣も狙ったという説がある。

 ここで注意が必要なのは、石器にしろ落とし穴にしろ、つくるには大変な労力がかかったと考えられる点である。細石刃はまず石材の目を見極め、絶妙の力と方向性を持つ打撃を加えて形のそろった石刃を割り取り、次にそのへりを細かく打ち欠いたり、鹿の角で押しはがしたりして形を整えるという、複雑な工程と技術を要する。

 石材も簡単に手に入るとは限らない。黒曜石、頁岩(けつがん)、サヌカイトといった石材は産出地が限られるため、遠隔地から運ばれる場合が多い。たとえば長野県野辺山高原の矢出川遺跡で見つかった黒曜石は、200キロも離れた太平洋沖の神津島産だという。氷河期に100メートル以上海面が低下しても神津島と本土は陸続きにならないから、旧石器人が舟を使って運び出したとしか考えられない。考古学者の堤隆氏は、動物の革を張ったシーカヤックのようなものだったのではと推測する。命がけの航海だったろう。

 石材を手に入れるには、はるばる遠隔地まで出かけるのではなく、他地域から交換を通じて取得していたとの見方もある。その場合も交換する食料などを入手しなければならないから、余分な労力がかかることに変わりはない。

 多数の大きな落とし穴づくりも、スコップなど土掘り専用の道具を持たない人々にとっては困難な作業だったはずだ。おそらく木の棒などで掘ったと考えられる。

木村 貴/経済ジャーナリスト

木村 貴/経済ジャーナリスト

経済ジャーナリスト。1964年熊本生まれ、一橋大学法学部卒業。大手新聞社で証券・金融・国際経済の記者として活躍。欧州で支局長を経験。勤務のかたわら、欧米の自由主義的な経済学を学ぶ。現在は記者職を離れ、経済を中心テーマに個人で著作活動を行う。

Twitter:@libertypressjp

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