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あなたはどの世代? 覆面レスラー「タイガーマスク」初代~四代目まで、禁断の正体に迫る!

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※参考画像:『初代タイガーマスク 平成猛虎伝説』(amazonより)

 あなたにとって「懐かしい」とはどんな情景でしょうか? 1970~90年代の「懐かしい」を集めたのが「ミドルエッジ」。あなたの記憶をくすぐる「懐かしい」から厳選した記事をお届けします。

 今回のテーマは、不滅の覆面レスラー、タイガーマスク。梶原一騎×辻なおきによる漫画・アニメ作品のメディア・ミックスとして現実世界のリングに降り立ったのは、1981年のこと。以来、代々トレードマークであるトラのマスクは受け継がれ、現在、五代目まで続いています。とはいえ、五代目はタイガーマスクの生みの親である梶原一騎の記念大会でデビューしたものの、3試合しか戦っておらず、176日で終了。

 今回は大ブームを巻き起こした初代から、現代のタイガーマスクとして今なお親しまれている四代目の活躍とその後を紹介していきたいと思います。

初代タイガーマスク(佐山聡)…独自の格闘流派を創立

※参考画像:『初代タイガーマスク 平成猛虎伝説』(amazonより)

 生身の人間で「リアル・タイガーマスク」をやるにあたって、原作者・梶原一騎が新日本プロレスサイドに通達した注文は「コーナーポスト最上段に軽々と飛び乗れるレスラーを用意しろ」というものだったのだとか。

 その指令を受けて抜擢されたのが、当時23歳の佐山聡でした。佐山は梶原先生の注文通り、コーナーポスト最上段に軽々と跳び乗れる身体能力を有し、173cmと小柄ながらその全身バネのような肉体から、変幻自在の空中殺法を繰り出して全国の少年少女を魅了し、一大ブームを巻き起こしました。

 そんな初代タイガーマスク・佐山聡は、人気絶頂気の1983年に引退。以来、素顔を公開してイチプロレスラーという枠を超え、総合格闘技団体・修斗の創立に携わり、1999年には「掣圏真陰流」という自らの流派を創設。現在、掣圏真陰流で込み入った精神世界論を説いていることもあって、ややスピリチュアル寄りの人になっています。

二代目タイガーマスク(三沢光晴)…46歳の若さでこの世を去る

※参考画像:『三沢タイガー伝説 虎仮面7年の咆哮』(amazonより)


 初代は新日本プロレスからのデビューでしたが、二代目は全日本プロレスからデビューします。当時の全日本プロレスの代表の故ジャイアント馬場から「コーナーポストに跳び乗れるか」と問われたメキシコ遠征中の三沢が「できます!」と答えたところ、即刻帰国させられ、虎のマスクを被り二代目タイガーマスクとして田園コロシアムのリングへ上がることに。

 その後、およそ6年弱、タイガーマスクとして戦った後、1990年5月14日に試合中、自らの手でマスクを脱ぎ、素顔の三沢光晴に戻ります。それ以降は、全日のエースとして活躍し、2000年には自ら新しいプロレス団体「プロレスリング・ノア」を設立。団体の代表として精力的に活動していたものの、09年の試合中に起こった不慮の事故が原因で46歳の若さで鬼籍に入ってしまいました。

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