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成馬零一「ドラマ探訪記」

『高嶺の花』野島伸司の脚本はなぜ最後まで迷走したのか?トラウマにこだわる古臭さ

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高嶺の花|日本テレビ」より
 水曜22時から放送されている連続テレビドラマ『高嶺の花』(日本テレビ系)が9月12日に最終回を迎える。


 華道の名門「月島流」のお嬢様・月島もも(石原さとみ)は、結婚式当日に婚約を破棄され自暴自棄の日々を送っていた。そんなときに、自転車店を営む風間直人(峯田和伸)と知り合う。

「ぷーさん」と呼ばれる風間は、やがて、ももと相思相愛となり婚約するが、今度はももが結婚式当日にぷーさんとの婚約を破棄してしまう。

 旬の女優である石原さとみとロックミュージシャンの峯田和伸のラブストーリーを、人気脚本家・野島伸司が手がけるという大胆な座組みが放送前から注目を集めた本作だが、筆者の関心は野島伸司の脚本にあった。

 1990年代前半に『101回目のプロポーズ』(フジテレビ系)や『高校教師』(TBS系)といった話題作を次々と打ち出し、時代の寵児となった野島だが、2000年以降は迷走していた。

 近年は民放地上波からも遠ざかっていたが、「dTV」や「Hulu」では精力的に連続ドラマを発表していた。制約が少ない有料動画配信サービスでの執筆ということもあってか、性愛をモチーフとしたショッキングなドラマが多く、全盛期の勢いを取り戻しつつあった。

 そんななか、久々の地上波プライムタイムでの連ドラ執筆である。

『高嶺の花』というタイトルで格差のある恋愛を描くということもあって、当初は「武田鉄矢と浅野温子が共演した『101回目のプロポーズ』の再来となるか」と思われたが、本作では石原が演じる月島もものほうが自意識過剰で、どこか達観しているように見えるぷーさんに翻弄されながらも惹かれていくという物語となっていた。

 2人の描き方は、とてもうまくいっていた。同時に、『奇跡の人』(NHK BSプレミアム)や連続テレビ小説『ひよっこ』(NHK)で脚本家の岡田惠和が描いた、民話の登場人物のような「おもしろおじさん」としての峯田とは違う、新しい魅力を引き出していた。

 石原さとみが演じるももは、「旬のいい女」という芸能人としての彼女のイメージを露悪的になぞりながら破壊しているようなセルフパロディ感に痛々しいものがあったが、それも含めて迫力のある芝居だった。

 ももの妹・ななを演じる芳根京子、ななを月島流の家元にするために暗躍するイケメン華道家・宇都宮龍一を演じる千葉雄大も好演しており、どこか優等生的なイメージが強かった2人にとっては新境地となる役柄だった。役者のポテンシャルを引き出すという点においては、優れたドラマだったといえるだろう。

『高嶺の花』がハマった罠


 ただ、肝心のストーリーに関しては「最後まで迷走していた」というのが正直な感想だ。

 ももとぷーさんが心を通わせていくメロドラマの背後には、月島流の跡目争いの抗争があり、ももの父親・市松(小日向文世)の陰謀があった。この構造自体はおもしろいのだが、月島流の哲学である「この世の汚れを知らないものは美しさを知ることができない」、そのためには「自ら心の傷を負わないといけない」という考え方についていけず、ももが一流の花道家となるために自分からぷーさんを捨てるという展開にも、「どういうこと?」と頭を抱えてしまった。

 そもそも、本作における華道の描かれ方は説明不足である。派手な音楽で盛り上げてはいるが、生け花の良し悪しについて判断する基準が劇中で設定されていないため、華道の場面になると視聴者が置き去りにされてしまう。これは、音楽や絵画といった芸術を題材にした作品が陥りがちなことだが、『高嶺の花』も同じ罠にハマってしまったと思う。

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